From: 糸井 重里
To: 渡辺 謙
Subject: 日本では、桜のたよりも。

糸井重里です。
すでに「軍服」を着ているという日々に、
お邪魔にならないようにと、願うばかりです。

遠くから日本を見る、ということ、
遠くから過去を見るということ、
遠くから自分たちを見るということ、
遠くから見ることは、遠くに行かないとできませんね。
それはたぶん「遠くに行ったつもりになって」では、
代りにならない視点なのでしょうね。
止まっていると、その場が見えない。
このごろ、よく、それを感じています。

せっかく別の人格を獲得したところで、
また『明日の記憶』に戻っていただいて、恐縮です。

前回、よろしければ「とっかかり」として、
映画のなかの景色について、書いてください、
というようなことをお願いしました。

なぜそんなふうに思ったかといえば、
やっぱり、おおいに気になったからです。
「これはいいなぁ!」と思ったので、
どんな思いでそういう表現になったのかな、と、
訊いてみたくなったのでした。

訊いてよかったです。

緑の、若い色のなかに溶けていく、というのは、
あの映画のとてもおもしろいところでした。
山の木々も、あの佐伯夫妻も、
若者のように、歩いていくんですものね。
景色そのものの「生きる力」が、立ち上っているから、
あの恋人たちの、新しい門出が祝福されていると、
感じたんだなぁ。
あの画面が、いまメールを打ってる場所でも
ありありと再現できるようです。

そして、周囲の人々と「重ならない」から、出会える。
そういう存在の佐伯を、どう演じるかという
孤独で困難だけれどやりがいのある悩み。
軽く言いにくいのですが、おもしろい‥‥。
世界を別に生きてなくちゃ、出会えないんですよね、二人は。
そんなことを思いながら、また観てみたくなります。

「可南ちゃん」が、いつ、どんなふうに考えて
表現をしているのか、ぼくにはよくわかりませんが、
あのときの、突然の嵐のような悲しみから、
その直後の青空への転換は、
優しさと強さが同居していて、
現実の彼女の最良の瞬間と重なったように見えました。
いや、いつもそういう人だということではないんですけどね、
いちばんいい瞬間には、
そういう輝きがあるような気がするのです。
ぼくの立場から、そういうことは言いにくいのでしょうが、
あんがい、言っちゃう自分なので、お許しください。

「軍服」や硝煙の匂いのする日々にいることでしょう。
気分転換になるようでしたら、また、メールください。
あくまでも、自分勝手に、そうしてください。

次の部屋のドアについた把っ手は、
エグゼクティブ・プロデューサー渡辺謙さんの、
会心の当たり!
「堤幸彦監督」というキャスティングについて、
というのはいかがでしょうか。

堤さんとは、お忙しい時期なのに、
会っていただけることになりました。
その次は、樋口可南子さんに、インタビューです。
やりにくいとか、言ってられないので、率直にやります。

また、ゴールデンウィークの「ほぼ日」試写会が、
どうやら、1100人入れる「よみうりホール」でできそうです。
その時に、日本にいて、硫黄島の匂いが消えていたら、
ぜひぜひ、会場に「エグゼクティブ・プロデューサー」をしに、
おいでください。
『明日の記憶』に、こんなふうに参加できていることが、
とてもよろこびになっています。
事務所の仲間たちも、やる気でスタンバイしてますから。

ありがとうございました。
お邪魔しました。

日本は、桜のたよりが聞こえはじめました。

2006-04-20-THU



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