糸井 |
渡辺さんのなかに、佐伯雅行という人は、
いまも残ってしまっているんじゃないでしょうか。 |
渡辺 |
この映画はいつもと関わり方が違いましたから、
撮影が終わってからも、
ラフ、ダビング、プロモーションなどで
100回近く、この映画で
佐伯という人間を観ました。
毎回、毎回、なんだか受け止めちゃうんですよ。
佐伯雅行は、ぼくのアルバムのひとつになってる。
不思議な感覚です。 |
糸井 |
じゃ、最初にこの映画をやろうと思ったときと
いまとでは、感覚がちがうんですね。 |
渡辺 |
ちがいますね。
最初に原作と出会ったときは
「やりたいやりたいやりたい!!」
と思っていただけ。
言葉にならない泉みたいなものがあって、
その源泉が何なのか、
撮影していくうちにわかった気がしました。 |
糸井 |
原作と出会って、最初は
恋愛をしたような感じだったんでしょうか。 |
渡辺 |
恋愛というより‥‥
なんだろうな、
「君のお母さん、この人です」
って、急に言われた、みたいな感じです。 |
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場内 |
(笑) |
渡辺 |
「ちょっと待って。ぼくこの人から生まれたの?」
否応ないわけです。 |
糸井 |
そこまで、ですか!! |
渡辺 |
はい。だから必死でしたよ。
「ええっと、俺って、新潟で生まれたよな‥‥」
と、思い返す時間があったわけです(笑)。
この作品に会ったときに、
母に抱かれているような
すごくあったかい感覚があって
「ええっ? でも、そんなわけないよな?」
と思いながら、すこしずつ
この作品のことを知っていった、
というような順番でした。 |
糸井 |
それはよっぽどのことでしょうね。 |
渡辺 |
だから「ふつうはそんなことしないでしょう」
ということをやってしまったわけです。
読んだその晩に、原作者の方に手紙を書いて、
「ぜひ映画化権をいただけませんか」
「お目にかかってお話させてください」
って、いま読んだら
おまえ〜〜〜!!って言いたくなるような
文章を送りつけてしまいました。 |
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糸井 |
いきなり手紙で
「あなたの生んだ作品の息子です!」って
名乗っちゃったんだもんね。 |
渡辺 |
いま思うと、この作品に関わってくださった
みなさんそれぞれに
「申しわけありませんでした、でも、
母が見つかってよかったです」
と言い切れるような気が(笑)。 |
糸井 |
そんなこと、一生のうちに
あるものなのかな? |
渡辺 |
衝動と戸惑いは、
しばらくつづきましたよ。 |
糸井 |
この映画にかかわった人たちに訊ねると
とにかく「渡辺謙さんのご指名で」
という人が多いんです。
つまり、渡辺さんは
「何から何までできることは全部しよう」
と思っていたわけですよ。
こんな仕事って、ねぇ。 |
渡辺 |
ないですね。
でも、ぼくは、すべてを引っ張ったのではなく
この作品をみんなに紹介しただけなんですよ。
こんなことがありまして、
ぼくは出会ってしまったんです、
いっしょに出会いをしてみませんか、
というかたちで
この作品のことをそれぞれの人に
少し紹介した、それだけのことなんです。
でも、一度そうしてしまうと、みんなが、
この作品と出会いながら、自分を見つめながら、
すべての矢印を、ぼくにではなく作品に、
放射状に向かわせることになりました。
作品←ぼく←その人
の図式が
ぼく
↓
作品←その人
というように、どんどん変わっていきました。
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(つづきます)
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