自転車思想。
チャリンコは、未来そのものの顔をしている。

第23回 クリティカルマスってなんだ? その4

こんにちは。

「東京でもクリティカルマスがある。」

98年12月、僕は友人から聞きました。
なんとなんと、一体僕は何をやってたんでしょうか?

とにかく、参加してみるしかない、と思いました。
どういう人たちがやってるのか?
どういう風に行われているのか?
気になってしょうがありませんでした。
そして、わからないと余計に顔を出したくなるのが、
僕の性格なんです。

でも、その当時は、前回書いたように、
原宿の服屋で働いてました。
お店、事務所を掛け持ちで、
接客から事務、海外の取引先への連絡などなど、
休みは全く不定期でした。
東京のクリティカルマスが行われているのは、
毎月最終土曜日なんですが、
そのころ土曜日は、ほとんど出勤だったのです。

98年12月、休みとれず。
99年1月、休みとれず。
99年2月、クリティカルマス前日に
      社長から出勤するよう命令される。
すぐ参加したかったのは山々だったんですが、
結局、東京クリティカルマスへの初参加は、
99年の3月でした。
…、が。
この日はあいにくの雨。
そう、自転車乗りが嫌いな寒い雨だったんです。
どうしようかな?
正直言って、ちょっと面倒くさくなりました。

「雨の日はやってないんじゃないの?」

なんて、都合よく考えてしまいます。
普段から雨の中を走ってるくせに、
というか、走ってるからこそ、
気が引けちゃうんですね。

ま、でもこのために3ヶ月も待って、
今回はちゃんと休みが取れるよう、
前もって社長に根回しをしてきたのです。
とりあえず、集合場所の様子を見に行って、
誰もいなかったら、帰ってしまえばいいや、
と、考え直して行くことにしました。

その頃の集合場所は、原宿駅横の橋の上でした。
スタート時間の少し前に、
さりげなくその場所を通りましたが、
どうもそれらしき人はいません。
すでに、カッパもビショビショです。
雨でも、土曜の原宿、けっこう人通りがあります。
ほんのちょっと、気恥ずかしさを感じてしまいました。

「さすがに誰もいないのかなぁ?」

と、思いました。
激しく思いました。
ま、それでもここまで来たんだし、
と思って、しばらく待ってからもう1度集合場所へ。

…、いました。
数人の人たちが自転車に乗ってます。
で、僕の方を見ていました。
こういう時は、向こう話しかけられるよりは、
積極的に話しかけた方が、気が楽なので、
自分から話しかけてみました。
単刀直入に、

「クリティカルマスですか?」
「そうです。」

学生っぽいグループの1人に声をかけました
やっぱりクリティカルマスだったのです。
とはいえ、結局この時の参加者は雨ということもあって
たったの6名でした。
天気のよい日は2〜30人集まった、と彼は言いました。

冷たい雨と、少人数ということで、
この時はとっても短いコースでした。
原宿をスタートして、2〜3キロ走った喫茶店で終了。
自己紹介しつつ、お茶を飲みました。
日本人は、基本的に環境団体のメンバーで、
あと、オーストラリア人の男女、
そういう顔ぶれでした。

「自転車乗りというよりも、
 エコロジーに関心のある人たちがメインなんだぁ。
 もっと、自転車乗りや、
 それに限らず様々な種類の人たちが
 集まってくるようになればいいな。」

僕が、東京クリティカルマス初体験で感じた印象です。

コーヒーを何杯か飲みながら、
僕は、「初参加だから…、」というような遠慮もなしに、
いろいろ話をしました。
自転車のこと、自己責任のこと、
環境のこと、交通のこと。

僕は僕で、中途半端ながらも自分なりに考えがあって、
その思考の中で、

「やっぱ日本でクリティカルマスは難しい。」

という思いを持っていましたが、
すでにクリティカルマスという現象は、
あっけらかんと始まっていたのです。

たった6人、雨の中のクリティカルマス。
このまま、東京の大渋滞の中で
消えて行きそうな、小さな現象。
それがどうなって行くのか、
この目で確かめたくなった僕は、
とにかく、次回も参加して
いろいろ考えたり、
いろいろ発言したりしようと思ったんです。
そして、そういうことは、
みんなで一緒に自転車に乗ることと同じくらい、
クリティカルマス的なんじゃなかろうか?
と思ったりもしました。

しかし、翌月4月の最終土曜日は前月を上回る大雨。
このときから移動した集合場所、
渋谷のNHKホール前に行ったものの、
結局誰にも会えず、家までUターンでした。

トホホ。

Ride safe!

2001-02-23-FRI

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