自転車思想。
チャリンコは、未来そのものの顔をしている。

第24回 クリティカルマスってなんだ? その5

こんにちは。

僕が東京のクリティカルマスに
参加するようになったのは、99年の3月からでした。
(あ、ちなみにクリティカルマスに参加することを、
 「巻き込まれる」って表現する人もいます。
 ちょっと面白いでしょう?)

もともとクリティカルマスに思い入れがあったので、
僕は、その時参加してた人たちと、積極的に話をしました。
自転車のこと、交通のこと、環境のこと、などなど。
日本人らしい奥ゆかしさ、これっぽちもなく。
今にして思えば熱いなぁ、我ながら。

そんな感じで参加するうちに、
毎月のクリティカルマスのコースを決めたり、
集団の先頭を走ったりするようになってきました。
別に誰に頼まれたわけでもなく、
自分から買って出たんです。
そりゃあ、都内の道はよくわかってますしね。

でも、ちょっと疑問も出て来ました。
つまり、そういうことを決めたり、
相談している僕たちって、
思いっきり“主催者”じゃん?? ってことです。
ミイラ取りがミイラ、じゃないな…、
とにかく何かずれている感じがあったことは確かです。

季節が変わり、暖かくなって来ると
クリティカルマス参加者も少しずつ増えてきました。
当然積極的に発言・協力してくれる人も増えます。
毎月、クリティカルマスが始まる2時間前に
青山の喫茶店に集まって、いろいろ話すようになりました。

・もっと多くの人にアピールするためにはどうするべきか?
・雑誌、TV、ラジオの取材依頼にどう対応しよう?
・それで来月のコースはどうしよう?

そんな感じでした。
いつの間にか、この喫茶店での会合が、
クリティカルマスの意思決定の場となってきました。

「主催者はいない、というか全員が主催者。
 責任者もいない、というか自分が自分の責任者。」

というクリティカルマスですが、
やはり何ごとかを決める必要はあるわけで、
そのジレンマ(僕が上で疑問を持ってたのはそこなんです)
を解消すべく、

「話し合うその空間に決定権がある。
 その空間に参加するのは全く自由でもある。」

という、何だかとてつもなくギリシャ的というか、
サロン的というか、そんな状況になってきました。
実際、喫茶店に集まるメンツは毎回違ってましたし。
僕の感じてた疑問は、それで何とか解消されたんです。

そのうち、ネット上の掲示板とメーリングリストが
上記のサロン的空間として機能するようになり、
いつの間にか喫茶店に集まることは無くなりました。
発展的解消とはいえ、顔を合わせて真剣に話したのは、
今でも記憶に残っています。

その頃、99年の6月で参加者は
確かまだ30人くらいでした。
東京のクリティカルマスが、
増えるやら減るやら、まったく見当もつかない時期に、
僕は、クリティカルマス発祥の地、
サンフランシスコに旅行しようと思い立ったんです。

海外のクリティカルマスホームページなどを、
慣れない英文和訳しながら読んでいて、
いろいろと理解できないことも多かったんですね。
だから、どうしても行きたくなったんです。
別に、発祥の地だから“本場”なんて思いませんでした。
あくまでも、自分のいるところが、自分にとって“本場”。
ま、でも見たことないよりは、
見ておいたほうがいいのも確かです。

という訳で、次回からいきなり!、
『クリティカルマス・サンフランシスコ編』
になります。

Ride safe!

2001-03-03-SAT

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