自転車思想。
チャリンコは、未来そのものの顔をしている。

第35回
リーナスさんで考えた。


こんにちは。

先週の土曜日深夜、ROCK西本氏と
代々木上原のバーで飲み明かしたエノモトです。
(ま、西本さんは、僕の倍くらい飲んでましたけどね。)

さてと、ほぼ日でもかなり話題になっていた、
リナックスの開発者、
リーナス・トーバルズさん の自伝
『それがぼくには楽しかったから』

(小学館プロダクション)
を読みました。
いやぁ、半日くらいで一気に読んじゃいました。

何だか、元気の沸いてくる本でした。
その中でも、冒頭に出てくる会話が面白かったなぁ。
章題は大きく、『人生の意味』。
そこで、リーナスさんはこんなことを言っていました。

「人生にとって意義のあることは三つある。
 三つの原動力だ。
 人の営みのすべてのこと…
 いや、人はもちろん、生きとし生けるものが行う
 すべてのことの原動力だ。
 一つめは生き延びること。
 二つめは社会秩序を保つこと。
 三つめは楽しむこと。」


最初読んだ時は、あまり気にならなかったのですが、
しばらくたってから、

「ムム、これはけっこう重要なことだぞ。」

と思えるようになりました。

ちょっと自転車の話題から脱線します。
僕の実家は、かつて服屋を経営していました。
そして、僕自身もアパレル関係で仕事をしていました。
だから、最初に服飾という面から、
上記の3原則を当てはめて考えてみました。

大昔、服は雨風や寒さをしのぐためのものでした。
この時、服はその機能だけが求められていました。

それから、社会的な身分を表すものとなりました。
(例えば、侍のかみしもとか、
 今、多くの人が来ている背広などですね。)
この場合は、何を着るかが重要だったと思います。

そこから、服というものは、
1人の人間が自分を表現するもの、
もしくは、自分というものを
他人に対してプレゼンテーションするためのもの、
になってきたと思うのです。
つまり服というものが、
コミュニケーションの代理機能を持った、
ということかもしれません。
このレベルだと、何をどう着るかが問われてきます。

もちろん、これらはひとつが終わって次に、
という類のものではなくって、
かなり同時発生・同時進行形的なものだったと思います。

ま、そういう言い方をすると
“だから、とんでもない格好をした若者が…”
なーんて言うお叱りも聞こえてきそうですが、
いえいえ、そうでもありません。
普通にスーツを着る方の中でも、

・どういうタイプのスーツを着るか?
・それにどういう靴を(カバンを)合わせるか?
・そして、それが他人にどう見えるのか?

ということを考えている人は、
以前よりはるかに多くなっているはずです。
(もちろん、昔からそういう人はいましたけど。)

例えば、非常に制度的な江戸時代の侍の服装も、
時代が下がるにしたがって、多様化していってます。
で、あんまり豪華になって幕府から禁止されたりとかね。
つまり、社会が成熟するというのは、
そういうことなのかもしれません。

僕がアパレル業界にいた時、感じたことがあります。
“もう、物語を持った服しか売れない”
ということでした。
単純に、質がいいとか、カッコイイではありません。
何というデザイナーが、
どういうコンセプトで作ったか?、はもちろん、
その会社が、どういう意識をもって
仕事をしている会社なのか?
という比較的シンプル物語だけでもありません。

そこにとどまらず、ブランドが提案する、
あるひとつのパッケージングされたライフスタイル、
そういうところまで、
明確にアピールしなくては売れないのです。
そして、優秀な物語を生み出すメーカーの服は、
値段の高い・安いに関係なく飛ぶように売れていきます。
そんなブランドの服を着ている人たちは、
ただ単に服だけではなく、
同時に物語さえも身にまとっているかのようです。

もちろん、今大流行のユニクロも例外ではありません。
その証拠に、同じような価格帯で勝負しても、
ユニクロに勝てるブランドはなかなか現れません。
ユニクロ以上の物語を生み出してないからです。

そして、話は自転車に戻ります。
自転車にも、例の3原則は当てはまるでしょうか?

第1段階の生存のため、というのは、
生活の糧を得るために自転車に乗る、ということなのかな?
まぁ、僕もそうなんですが、ちょっとピンと来ないです…。
要再考察ということにしておきましょう。

次に、社会的な存在としての自転車。
これは、今まで僕が書いてきたことと、
かなりつながっている気がします。
自転車を通じて、社会を考えること。
自転車の社会的な基盤整備のことだったり、
硬い言葉だけど、『倫理』みたいなことを考えるのもそう。
クリティカルマスも、やはりそうでしょうね。

最後に、楽しむこと。
つまり、上の2つをひっくるめて
最終的に、
自転車をどれだけ楽しむか?(楽しめるか?)です。
服の話と合わせて考えると、

・より多くの人たちが、自らの選択として、
 自転車のある生活を選択すること。
そして、
・自転車(とそれに携わる人たち)は、
 自転車のある生活を、どれだけ魅力的なものにできるか?
・(僕を含めた)自転車乗りは、
 どれだけ豊かな自転車の楽しみ方を、
 自分たちで発見していくか?
ということなんだろうと思います。

そんな風に考えていて、
ふと、あることを思いました。
かなりふざけていると思われるかもしれませんが、
まぁ、聞いてください。

もっともっと多くの人が、
積極的に自転車を楽しむようになって、
その結果どういう光景が現れるのか?
“ラブホテルに駐輪場が設置されて、
 その上、満車のランプが点灯している”

なんていうのはどうですか?
乱暴な話ですが、もし『自転車社会』なんてものが、
これから日本で成立するのであれば、
特別荒唐無稽な話でもないでしょう。
というか、そんな状況に自然になっていくのが、
僕の理想だなぁ、って思うんです。

んー、もっと言っちゃうと、
駐輪場付ラブホテルに、
タンデム(2人乗り)の自転車で入っていく2人、
なんていう光景が見られたら素敵だなぁ。
(註:公道でタンデムが走行できるのは、
 日本中で唯一、長野県しかないんです。)



Ride safe!

2001-06-17-SUN

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