自転車思想。 チャリンコは、未来そのものの顔をしている。 |
第38回 自転車大国!? こんにちは。 つい先日のことです。 仲の良い友達の紹介で、 あるアメリカ人の自転車乗りと話をする機会がありました。 「自転車で走る日本はどんな感じ?」 とまぁ、こういうありきたりな質問をしたところ、 彼の意見は、僕を一瞬躊躇させるものでした。 「日本はいいよね。とても多くの人たちが、 普段の生活の足として、自転車に乗っているから。」 正確にこの通りではありませんでしたけど、 要するに、こんな感じだったんです。 僕は思わず口ごもってしまいました。 (自転車は多いけど、その分問題もいっぱいあるよ。) と、ごく当たり前の返事をしようか悩んだけど、 彼の印象は印象として、 やっぱり大事に受け止めるべき、と思いました。 確かに、僕たちの周りには自転車が溢れています。 さまざまな種類があるし、 自転車に乗る理由も、そのスピードも異なりますが、 やっぱり自転車なんですよね。 ついつい、自転車、それもスポーツバイクに乗ってると、 いろいろなことに文句を言いたくなることがあります。 そして、いわゆる“ママチャリ(※註)”が その文句の対象になることも、かなり多い。 僕自身も、今まで書いてきた中で、 そんなニュアンスのことを表現した記憶があります。 でもさぁ、いいんじゃないのかなぁ? と、こんな風に僕の考えは変わってきました。 これだけ、自動車大国で、経済的にも(一応)裕福で、 それでも、こんなに多くの人が自転車に乗っている。 うん。これは1度キチッと認めよう、と思うのです。 と、言いつつ…。 激安の自転車は、往々にして組み立ての精度が低く、 時として危険な乗り物だったりもします。 せっかく買っても、大事にしない人も多い。 だから、盗難されたり、放置されちゃったりして、 さまざまなところで、大問題になっていますね。 おまけに、海外から輸入される激安自転車のおかげで、 国内の自転車製造・小売業がダメージを受けている。 うんうん。これもちゃんと認めましょう。 だけど、それがどんな自転車であれ、 大事にして、楽しく乗る人はいます。 どんな自転車であれ、そうでない人もいます。 たぶん、それだけのことです。 僕たちの生活に、自転車はとっても身近なもの。 上記のアメリカ人には、 そのことがよく見えていたのでしょう。 アメリカ人と自転車の距離は、 日本人のそれより、かなり異なりますからね。 距離感を計るものさしとして、 自転車をモチーフにしたポップスを考えてみれば、 その差は一目瞭然です。 日本のポップスでは、 日常(もしくは、日常からの脱出)の小道具に 自転車がよく登場します。 ここでデータを紹介しましょう。 しんげんさん、という方のホームページに、 ●「自転車」の曲 コレクション というのがあります。 こうやって見ると、思ったより多くのアーティストが、 自転車について歌っていますね〜。 しんげんさん、ありがとうございました。 さて、欧米のポップスでは、果たしてどうでしょう? クイーンと、クラフトワーク、くらいですね。 (あ、スミスにもちょっとあったゾ) いくら10代に人気があっても、 バックストリートボーイズや、スパイスガールズ、 ブリトニー・スピアーズたちが、 自転車のことを歌ったという話は聞いたことがありません。 彼らの曲を聞く世代の光景の中に、 自転車がそれほど浸透していない、ということでしょう。 ま、僕が知らないだけなのかもしれませんけど。 日常生活の風景に自転車があって、 それが歌にも歌われてる、 映画やドラマでも重要な小道具になったりしている。 これはもう、一種の“自転車文化”ですよね。 自転車のことを語る時、 つい自転車の種類で分けてしまいたくなる。 これは、自転車にはまってる人だったら、 おそらく身に覚えがあると思います。 でも、どんな自転車も、やっぱり自転車である、 という視点は常に持っていたいものです。 だって、このページを読んでくれている方の中にも、 ごく普通のママチャリで、 自転車生活を満喫している人がけっこういることを、 僕は知っているから。 今乗ってる自転車を、あなたが気に入っているのであれば、 それで全然OK。 大切に、楽しく乗りましょう。 という訳で、次回は自転車お掃除(簡単編)です! Ride safe! ※“チャリンコ”という言葉が、 戦後の混乱期に“スリ”を意味していた、という理由で、 一種の差別語・侮蔑語であるという意見があります。 このような意見があることを承知の上ですが、 一般への浸透度という点を考慮して、 普通名詞として“ママチャリ”を使用させて頂きました。 ご了承下さい。 |
2001-07-03-WED
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