私がはじめてサーカスのショーを観たのは、
8歳のときでした。
私は農家の生まれで、田舎に住んでいたんですが、
あるとき、そこに小さなサーカスがやってきたんです。
空中ブランコ、それからアクロバット、
動物はあまりいなくて、馬が1頭出てきただけでした。
そして、私はそこではじめて、クラウンを見たんです。
そのクラウンはたいへんユーモラスで、
いろんなところに登ってみたり、
さまざまなものでバランスをとったり
といったことをやっていました。
私は、それを観て、
大きくなったら自分でもできるんじゃないかな、
というふうに思ったんです。
私は家に帰り、さっそく納屋にロープを張って、
綱渡りの練習をしました。
そんな私を見て、父親は
「ケガをするぞ! 下りろ!」と怒鳴りました。
けれども、私は、はじめて観たサーカスに
すっかり興奮していました。
いまでもはっきりと覚えていますが、
そのとき、私は、あのサーカスといっしょに
ここから逃げ出したい、とまで思ったんです。
その後、私は学校で、
ショーや劇場のことを勉強しました。
16歳のときに、小さな演劇集団をつくりました。
当時は、ほとんどの人たちが
ロックンロールをやっていたのですが、
私は演劇のグループをつくったんです。
といっても、本格的な公演をしたわけではありません。
ロックンロールの演奏やダンスが行われている
ホールの休み時間なんかをつかって、
即興劇や、風刺の小さな劇を、40分くらいやってたんです。
そのころには、もう、
劇場での仕事を自分の生活の糧にしようと決意してました。
もちろん、父親は猛反対しました。
農家の出身である父親は、真面目に勉強をして、
まっとうな職業につくよう、私に言いました。
いい子になりなさい、ということですね。
それで、私はどうしたか?
勉強しました。真面目に、勉強しました。
ずいぶん難しい勉強をして、建築科を卒業しました。
そして、建築事務所に勤めました。
それは、バンクーバーにある、
「クニモト・エンジニアリング」という会社でした。
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