初めてラオスに来た時から付き合いのあるワンさんが、
「夫がユキコにと。
これは夫の祖母が作った布だよ」と言って、
一反の布を私にくださいました。
はあっとため息の出る布です。
美しい布である驚き、
そして、レンテンの人といえども、
今はこのレベルの布が作れないという失望感。
そんな気持ちが混じるため息です。
「夫のおばあさんは川で溺れて死んだんだけど、
このおばあさんが紡ぐ糸は、
それは細くてきれいだったんだ。
忍耐強くないとこういう細い糸は紡げないよ。
ベトナム戦争のときは、日中は森に隠れながら、
ずーっと糸を紡ぎ、布を織っていたんだよ。
夜になると村に戻るけれど、
火を焚いたり、蝋燭を灯したりすると
見つかってしまうから、
暗くなると、寝ることしかできなかった。
朝が来るとまた森に隠れて、
おばあさんは糸を紡ぎ、布を織ったんだ。
死んだときは、100反の布を残していったよ。
それを家族や親族で分けたんだ。
私の夫もその布をもらって
大切にとっていた一反がそれだよ。
今はこんな布はつくれないよ。
どうしてだろうねえ。」
このワンさんのお話から、
いろんなことを思ってしまいます。
戦争中、死の危険が濃いなかで、
森に隠れて、
こんなに細い糸を丁寧に紡ぎ、
こんなにきめ細やかな布を織るという精神力。
同じヒトなのに、なぜ、今はこういう布が作れないのか。
先日、村のおじいさんたちと一緒に
森を歩いていたとき、
ぼつっとひとりのおじいさんが、
「今は、カネをもっていないと、ヒトではないんだ」
と言いました。
ドキリ。
冷静に考えるとそうだと思いました。
現在の世界に生きるほとんどのヒトは、
お金がなかったら生きていけないでしょう。
お金はいろんなものと交換できますから、
これ以上便利なものはないというくらい
便利なものだと思います。
とりあえず、お金を持っていれば安心できる。
私もそうです。
でも、もし、交換する対象がなかったら、
お金があってもたちまち困ってしまいますよね。
私は臆病ですから、
そんな日が遠からず来るような気がして
しかたありません。
そんな日が来たら、
俄然、力を発揮するのが
レンテンの人たちのようなヒトだと思います。
純粋に頭を使って工夫して、
肉体を使って、手を動かして、
身のまわりにある材料を活かして生き抜く。
お金があっても交換できない時代がやってきて、
お金しか持っていない人たちは
右往左往してただ彷徨い、
今、虐げられて生きている
お金も持たずに生きている人たちが
飄々とふつうに生き残る世界を想像すると、
ちょっと楽しくなります。
でも、本当にそんな世界が来たら、
私も彷徨うしかないので、ぞっとします。
お金のお世話にならず、
自分の力で生きるということは、
とっても厳しいことで、足がすくみます。
私の年齢からでは遅すぎると思い、悔やまれますが、
少しでもレンテンのヒトの力にあやかりたいものです。
でも、ヒト以外の生き物は
みんなそうして生きているんですよねえ。
偉いなあと思わずにはいられません。
HPENews 2012年4月