昨日も一昨日も綿摘みでした。
まだ花も咲いているので
綿摘みはまだまだ続きます。
あとひと月くらいでしょうか。
1日ずっと綿を摘んで戻ってくると
摘んだ場所でまた新しい綿がはじけている、
そんな感じです。
同じ焼き畑に蒔いた籾(もみ)も穂が出てきました。
この焼畑ではもち米の赤米を育てています。
さて、綿打ちについての話です。
私が17年前に村に来たとき、
すでに綿打ちは簡単な機械を使ってました。
村にはその機械はなく、
機械を持っている村まで、
みんな出向いて綿打ちをしていました。
活動をはじめて数年たったところで
村の人たちから綿打ちの機械を買ってほしいという
強い要望が出ました。
今の私なら、みんなを説得して断ったと思いますが
その当時は彼らがより現金収入を得るためには、
効率についても少しは考慮すべきだし、
綿打ちの機械を買わないことで
手紡ぎの糸がなくなるよりはまし、
という判断で綿打ちの機械を購入しました。
昔ながらの簡単な道具を使っての綿打ちは
見たことはありますが、
それで作られた糸や布というのは
私は昔の布でしか見たことはありません。
昔ながらの綿打ちは
やはり大変な時間がかかるものです。
そして綿ぼこりに、延々とまみれなければなりません。
しかし、綿打ちのきめ細かさは、
糸作りに大きく影響します。
手でする時間もかかり、
ほこりまみれになる作業の綿打ちの方が
よい布ができる、という話です。
今年は(来年にかかるかもしれません)、
まず私が昔の方法で綿打ちをし、
ワンさんの分もせめて2、3反分は
昔の綿打ちで糸を作ろうよと説得するつもりです。
結局なんでもそうだと思いますが
「手元を見ながら作る」という大事さにいきつきます。
撚糸(よりいと)も、
以前は糸車で一本の糸を撚糸していました。
一本の糸を見ながら撚糸するわけです。
ずっとその一本を見ている。
昔、私は江戸時代に日本で開発された
八丁式撚糸機という道具を見つけて
それを現場に持ち込み
こちらでも八丁式撚糸機を作れるようにして
撚糸機を広めました。
八丁式撚糸機を使うと、
一度に20本ほどの糸が撚糸できるので
つくるスピードがずいぶん早くなります。
その当時は私も喜んでいたのですが
一本の糸を見ていた眼が、
20本一度に見るので‥‥
一本の糸を見るときとは違いますよね。
綿の糸を紡ぐのも、
絹の糸を引くのも、
撚糸するのも、
一本ずつのときは、その糸をじっと見つめて、
太くなったり、ほこりがついたりすると、
そのたびに手を止めて、手直しする。
その光景は、いつ見ても美しく、私は感動します。
ただ、ここで問題なのは、
この作業にどれだけ心を寄せているのかということです。
心次第では、大変、雑なものが出てくる可能性もあります。
自主的によいものを作りたいという気持ちになるかどうか
それは商業という中でのもの作りでは難題だと思っています。
お母さんがわが子のために作るものには
かなわないと思ってしまうのです。
2016年9月 谷由起子