糸井 |
補聴器のお店で聞いたんですが、
ご家族と一緒に補聴器を買いにいらっしゃる方は
後日、つけ心地についてのアンケートを見ると、
とっても良好な場合が多いんですって。
つまり、他人との関係で、
自分が補聴器をつけていることの理解が得られないと
なかなか色んな問題がおこるっていうことなんです。
今日の会合もそうなんですが、
そうじゃない人の側の心を一緒に変えていかないと、
ものごとって進まないなって思うんですよ。 |
木村 |
家族のかたや周囲のかたのご理解なしに
本人だけの補聴をなんとかしようというのは
限界があります。
目が見えないかたは、人とモノとの問題ですが、
耳が聞こえない場合は、人と人との問題なんです。 |
糸井 |
八谷さんは、
補聴器を作ってみたいっていう
気にならないですか? |
八谷 |
補聴器ですか。
率直に言うとならないですね。
自分がそういう状態になったらわからないですが。 |
糸井 |
補聴器に限らず、聞こえるっていうことに
絡んだおもちゃができる、なんていうのも、
非常にみんなの理解が深まりますよね。
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八谷 |
難聴者の聞こえは、こんな風に聞こえる
っていう音の資料を、さっき聞いてみて初めて、
聞こえないっていう感覚がわかったのですが、
その「わからなさ」をなんとかするようなものを
考えれば、コミュニケーションの試みが
できるんじゃないだろうかと思います。 |
糸井 |
僕は「エンポリオ補聴器」が
必要だなと思った。
ジョルジオアルマーニに対して、
エンポリオアルマーニがあるじゃないですか。 |
八谷 |
セカンドラインですよね。 |
糸井 |
そう。
ああいう部分があって、
「使ってみたけど、ダメだからやめたよ」
って簡単に言えるようになったら
もっといいのがほしいとか、
色々と考えられる。
だから、そういう立場の商品があったらと思います。 |
八谷 |
それはそうですね。
僕は、時々コンタクトをしていて、
それはディスポーザルなんですけど
前は全然そういうものがなかったわけですからね。
この用途の時には、これが必要っていうのは
絶対にあると思うんですよ。
それは補聴器にもある気がしています。
コミュニケーションのためには
眼鏡以上に必要なものなので、
そういうものが出てくることによって助かる人たちが
たくさんいらっしゃるんじゃないでしょうか。 |
糸井 |
具体的に言うと、今、
声の小さい人ばかりがいる会社と
つきあってるんですけど、
あそこに行くときは、
補聴器をつけていこうかと思う。 |
鳥越 |
糸井さんも段々難聴気味になってくると
わかると思いますけど、
人間のコミュニケーションって
視覚もあるし、聴覚もあるし、
色んなところに関係ありますけど、
僕は、耳は最大のコミュニケーションツール
だったんだなって痛感しているんですよ。
どんどん聞こえない会話をやりすごして、
皆の会話が進んでいって、僕と皆とは
コミュニケーションがとれなくなっている。
これくらいの軽度の難聴でも、
そういうことになります。
人間の耳の役割って、
この歳になって初めて思い知りました。
聞こえなくなったときに、
どう補っていくかって
とっても大事だなと思いました。 |
糸井 |
人の話を聞けないと、
自分の意見も言えないですからね。 |
天野 |
何を言われてるかっていう意味じゃなくって、
「どう言われてるか」のほうが、
よっぽどコミュニケーションには重要だったりします。
言ってる意味がなんとなくとれても、
その言い方の微妙なニュアンスがわからないと
コミュニケーションが成り立たなくなるでしょう。
そういう意味では、
言葉は文字じゃなくて音なんです。 |
糸井 |
映画の字幕だけ見てるいらだちって
絶対ありますよね。
微妙なニュアンスを、もっと感じ取りたいって、
いつも、思いますもの。 |
天野 |
たとえば、文字だけだと、
「あ、俺に金貸せって言ってるんだな」
っていうのはわかるんだけど、
金貸してほしいっていう気持ちの微妙さが
こっちにわからなかったりするじゃないですか。 |
鳥越 |
(笑) |
天野 |
ところが、その微妙さの加減によって、
こっちも貸したり貸さなかったり
するわけじゃないですか。(笑) |
糸井 |
(笑)なるほど。そうですよねぇ。
そろそろ、時間になりました。
僕は具体的に、こういう不自由をしている
っていうことはないんですが
「そういうわけじゃない人のほうが、
現状を知って、一緒に変わっていく」
っていうことの大事さを、
今日みなさんでわかりあえたら、
何かがまた少しずつ
変わっていくんじゃないかなと思いました。
僕ら団塊の世代が、一気に必要としたときには、
ほんとに市場が変わるっていうのは目に見えているので
そんなに心配することもないんですけれども。
今日は皆さんに、
聞こえないということについて
聞こえている人が理解する
っていうことの重要さが伝われば、
よかったんじゃないかなと思います。
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天野 |
落語で、親父と息子が、2人で話していて、
「あれはたばこ屋の甚平さんじゃないか」
「あれはたばこ屋の甚平さんだよ」
「あ、そうか。俺はまたたばこ屋の甚平さんかと思った」
っていうやりとりがあるでしょ。
2人とも耳が悪いっていう設定なんですけども。
それは、僕は昔はげらげら笑ってたんだけど、
最近は笑えないね。(笑)
笑えないっていう人の気持ちが分かるってことが
大事なのかなと思います。
差別だなんだって難しいことでもないんだけど、
それを笑えないやつもいるなって
5人に1人くらいはいるよなって
わかってくれると嬉しいですよ。 |
糸井 |
それをこの前、とてもお年寄りの
米朝さんがやってらっしゃいました。(笑)
あの大づかみな分かり合いかた、
みたいなことが僕ららしい結論かなと思います。
本日は、どうもありがとうございました。
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(次回、第3部「耳からの言葉と音楽」につづく)