糸井 |
いよいよ、第3部ということになります。
ここだけを聞きに来られたかたも
いらっしゃるかもしれませんが。(笑)
谷川俊太郎さんと谷川賢作さんです。 |
谷川俊太郎
谷川賢作 |
こんにちは。 |
糸井 |
こんにちは。
谷川さんが、この朗読と音楽を
ミックスされる試みは、
ずいぶん最近になってからのことだと思うんですが
きっかけというのを教えていただけますか。
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谷川俊太郎 |
むこう(賢作さん)が俺に比べると無名だから、
一緒にやってやろうかな、と思いまして。(笑) |
糸井 |
(笑)ぼくが、一度拝見した限りでは、
谷川俊太郎さんのほうが
気持ちよさそうでしたけども? |
谷川俊太郎 |
それは気持ちいいですよ!
音楽があると、なんだか体が緩みますね。
ひとりで読んでいるよりも。 |
糸井 |
文字で見るはずの詩を、音で表すときというのは、
黙読している時と同じ気分なんでしょうか。 |
谷川俊太郎 |
全然違いますよ。
活字を追っていくだけだと、
字が寝そべってる感じがする。
でも、声に出すと起きてくるんですよね。
それが、歌になると、
空中を飛び回っちゃうみたいな。(笑) |
糸井 |
踊っちゃうみたいな。(笑) |
谷川俊太郎 |
それがすごい楽しいです!
この頃は私も舞台に立ったりして
芸能人ですから、(笑)緊張しますよ。
お客様を意識します。
ぼく、すごく受けたがり屋なんですよ。 |
糸井 |
ええ、それはなんとなく・・・
わかります。(笑) |
谷川俊太郎 |
(笑)糸井さんもそうだと思うんですけど。 |
糸井 |
そうですね。
やっぱりお客さんを前にして、
伝わった、っていう
さざ波がたってるのを見ないと。 |
谷川俊太郎 |
そう。交流がないとね。 |
糸井 |
「俺は好きなことやってるんだから
わかんなくてもいい」
っていうのはいやですね。 |
谷川俊太郎 |
あ、それは全然だめですよ。
歌っていうのは、必ず拍手がくるでしょ。
詩ってね、来ない時があるんですよ。(笑)
すると、すごく焦ってくる。 |
糸井 |
それは良く考えると、
じーんとしてるんでしょうね。 |
谷川俊太郎 |
ぼくは楽観的だから、
みんな感動して拍手もできないんだなって
思ってるんだけど(笑)
つい心配で、
「拍手してくだすったほうがいいんですけど」
って言っちゃうんです。 |
糸井 |
今、もう言ったから大丈夫ですね! |
谷川俊太郎 |
もういきなり、言いました。
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糸井 |
詩って言葉ですから、
文字を書く仕事をしてるときは、
詩とぶつかっちゃって、
黙って聞いてるしかないのかなって
思っていたんです。
でも、不思議と、仕事しながらでも、
何を言ってるかは別として
音としてかかってるのは全然平気なんですよ。 |
谷川俊太郎 |
ああ。 |
糸井 |
詩って、自己主張がないのかな?
ときどきそのかけらだけが、耳に入ったときに
「おお」って思うんです。
活字の詩とは違って、耳から入ってくる詩って、
そういう役割があるのかなって思います。 |
谷川俊太郎 |
やっぱり詩っていうのは、ほんと言うと
何してても耳に吸い寄せられるっていう風に
したいんですけどね。 |
糸井 |
もちろん、そういう風に聞こえるんですけど
あのCDはピアノが入っているせいもありますね。 |
谷川俊太郎 |
詩集って、トイレで読んだりすると
よく頭に入るっていうことありますよね。 |
糸井 |
それは・・・、
ぼくはしたことがないです。(笑) |
谷川俊太郎 |
あ、そうですか。
全部読むのは時間がかかりますから
トイレに気に入った詩集を置いておいて、
1篇2篇読むっていうのはいいですよ。 |
糸井 |
詩は、ほんとに色んな聞き方ができますね。
つまり、受け取る側と伝える側との関係から
詩が生まれてくるっていう。 |
谷川俊太郎 |
ぼくは基本的に、
お客さんひとりひとりのかたが、
ひとりひとりの受け取り方で
聞いてもらえるのが一番嬉しいです。 |
糸井 |
それが今日は、お客さまには、
すごく実感して頂けると思います。
それを皆で聞けるっていうことが
またすごく楽しいことなので
是非お楽しみいただければと思います。
よろしくお願いします。 |
谷川俊太郎 |
最初に聞くっていうことに関連した
「みみをすます」っていう詩を読みます。
この詩は、ひらがなばっかりでできていて、
最初から声に出して、耳で聞いてもらいたい
と思って書いた詩です。
アメリカ人の友人から
翻訳したいという話が来たときに、
「みみをすます」っていう題名をどう訳すか
っていう話をしたときに、
「耳をすます」っていう言い方が
英語ではないそうなんですね。
「すます」っていうのは、
水が澄むっていうのと同じだし、
人間が家やどこかに棲む、
ひとつところにずっといるということが
語源らいしいんです。
でも、英語には、「耳をそばだてる」とか
「耳を傾ける」という表現はあるけれども
そういう言い方を特に選ばずに
すべてを受け入れる、
「耳をすます」っていう言い方はないそうです。
日本人はたぶん西洋とは違う聞き方を
持ってると思うんですね。
だから、この詩は読むより聞いてほしいんです。
野外で風が吹いたり人声がしたり、
というところで
読んだこともあるんですけど、
あまりそういう余計な音が気にならない詩だと、
自分では思ってます。
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