ぼく、飛行機で ロンドンのヒースロー空港に 下りていくときの感じが好きなんです。 どこが好きかというと、 街並みの中で古さが肯定されているところ。 「直しようがないから」と肯定されているところが きれいだなと思います。 まっさらなところからきれいにデザインされた 街というのもありますけど、 いろんな要素が混じっていて、 そういうつくりかたでは出せないような 魅力を感じるんですよね。 |
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はい、わかります。 古さが肯定されている街って、 2つの建物どうしを あいまいにつないでいるような空間とか、 「これ誰の場所?」みたいな場所が なんともいえない良さを作り出していますよね。 |
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そう思います。 はっきりとわかりやすいところではないところに 魅力が含まれている。 |
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クリストファー・アレギザンダーという アメリカ人建築家の 「パタン・ランゲージ」という考え方が、 その、「あいだのなんともいえない良さ」に 近い発想かもしれません。 その人は 「アルファベットは組み合わせることで、 ただの文字の並び以上の意味を 出すことができる。 だから、街をつくるときにも、 街を構成する 『こうなるといいよね』という要素を 文字のように考えて その『パターンの組み合わせ』で考えていくと いいんじゃないか」 といった考え方をしています。 |
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へえー。 |
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それでその人は、 1977年に『パタン・ランゲージ』という 図鑑のような本を作ったんです。 人々が心地よいと思う253の項目をあげて、 まちづくりや建築の参考にしてね、という本で 非常におもしろいです。 どこから読んでもいいつくりの本なんですけど、 その本では、いろんな項目と項目が 「リンク」しているんです。 たとえばあるページには 「道路に面した場所には 座れる階段があるといいよ」 という項目があるんですけど、そのなかに、 「道と建物の高さの関係はこっちを見てね」とか 「階段のサイズについての項目もあるから ここを参照してね」 という別の項目のことがふれられています。 |
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うん、うん。 |
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街も建築も「パターンの組み合わせ」ですから、 さまざまな要素を行ったりきたりしながら、 全体と部分を照らし合せて考えていかないと ほんとうにみんなにとって心地よい街や建築って つくれないんじゃない? という考え方です。 だから本もそうなっています。 |
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はあー、なるほど。 なんとなく、数学っぽいですね。 |
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あ、その人、元数学者です。 そのあとに建築をやり始めた人で‥‥。 |
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そうなんですか。 へえ、おもしろいなあ。 それで本が‥‥1977年? その人の研究って、 その後、どうなっていったんですか? |
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それがですね‥‥ そういった、たくさんの項目が リンクしていることって、 本よりもインターネットのほうが得意ですよね。 だから、その 『パタン・ランゲージ』の本そのものを ホームページにしてしまって、 興味のある項目から読んでいけば どんどん他の項目へと つながっていくことができます。 彼はそういうものをつくって、 自分たちの街を考えるためのツールとして つかってほしい、と言ったんです。 |
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なるほどねえ。 |
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建築のことはよくわからなくても、 たとえば自分の好みの「部屋」から考えていけば、 「部屋」から「家」、「家」から「庭」、 「庭」から「道」というかたちで 街のことも考えられます。 |
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うん、うん。 |
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ただ、残念なことに、その人自身は 中世ヨーロッパの街並みを「良し」としていて、 よくよく読み込んでいって街をつくると 中世ヨーロッパ風の街並みになってしまいます。 日本でもいくつか彼の手法で 街をつくったんですが、 建築系の人たちには好まれなかった、 ということがありました。 |
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ああ‥‥おもしろいなあ。 そうやって、数学のように組み立てているのに 「中世ヨーロッパ」みたいに、 どうしてもその人の価値観が入るんですね。 数学者であっても整理できない価値観というのは 当然、持っているわけですから。 |
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そうなんですよ。 たとえば「階段」という項目だと、 その人は 「階段はリビングにななめにつけるべきです。 2階から主人が『ごきげんよう、みなさん』って 下りてくるものなんだから」 と書くんですけど、 それは日本の、 「床がきしむ音で人が近づくのに気づく」とか そういう感覚とは、異なるんですよね。 論理的に考えようとしても、 個人の価値観はどうしても入ってしまいます。 |
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今の山崎さんのお話を聞きながら 考えたんですが‥‥、 日本って象形文字を使いますよね。 アルファベットの26文字は一個ずつが記号で 意味を考えずに使えると思うんですが、 日本の漢字は、ついつい その意味以上のことまで受け取ってしまいます。 漢字の各部首に意味があったり、 イメージがあったりしますから。 そういう「余分」があることで、 「整理のしづらさ」と「豊かさ」がありますよね。 |
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ああ、整理はたしかにしづらい。 ただ、豊かですよね。 |
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その「余分」に見えるようなところって、 整理されていないぶん、 かっこよく見えないかもしれないんですけど、 実は大切なものを含んでいる気がします。 ぼくは今、そちら側のほうに興味があります。 山崎さんのされていることも そうだと思います。 「かたち」じゃないことをデザインするのって、 見る人が見れば「余分」にしか見えないんだけど。 |
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ええ、ええ。 |
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リーダーだって、 普段から「リーダー」と呼ばれている人より いざという時にリーダーとして みんなから顔を見られる人のほうが リーダーじゃないですか。 なぜリーダーなのかは説明しづらいんだけど、 なにか、豊かなものを含んでる(笑)。 |
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(笑)、そうかもしれない。 そういえば、ぼくらがいろんな地域に入って ワークショップをしながら 地域の問題を解決するとき、 リーダーを決めるのに 推薦とか立候補では決めないんです。 まずはあるていど放っておくんですね。 |
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ええ、ええ。 |
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話をして、集まって、飲んで騒いで みんなが「よっしゃ!」ってなっているときって 人数も増えるし、すごく盛り上がります。 でも、そのあとは、人が抜けていったり ちょっとした喧嘩があったりします。 そういう、雰囲気が下がっていくときって、 コミュニティが壊れる可能性があるので、 最初はアドバイスなどをして 解決しようとしていたんですけど、 あるときから「それは放っておこう」と 決めました。 で、ずっと放っておくと、 ワークショップに来る人も少なくなって、 「これからどうしよう」みたいな話にもなるし、 不安になってくるんです。 でも‥‥そのあたりで徐々に ほんとうのリーダーは誰か、 わかってくるんですね。 |
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あぁー。そういうことか。なるほど。 |
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最後まで残っていて、 ぜんぜんネガティブなことを言わないで 「なんとかなるじゃねえか」「次これやろう」 と、言う人。 「こんなに人数が減っているのに、 どうしてそんなに楽観的でいられるの?」 みたいな人、 そういう人がリーダーだったりするんです。 そこからまた人が増えていったときには、 もうみんな、誰がリーダーなのか わかっているんですよ。 |
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おもしろいですねえ。 それ、ものすごくよくわかります。 |
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さっき糸井さんがおっしゃったように、 「まずい!」といった時に 「どうしようか?」というふうに顔を見られる人、 そういう人がリーダーになっていくんですよね。 |
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なるほどね。 そんなふうになるかどうかって、 頭がいいか悪いかとかじゃなく、 「ここでやっていこう」という 根が伸びるているかどうか、ですよね。 |
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ええ。もしかしたら頭がいい人は 逆にいなくなるのが早いかもしれないですよ。 「ここにいては未来がない」とか思って、 乗り換える。 |
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そうか。だから最初に大事なのは、 「根が生えるかどうか」なのかもね。 根が先で、それからやっと 「どうやってやるか」になるというか。 |
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そうかもしれないですね。 うん、ぼくらがコミュニティデザインで やれたらいいなと思っていることって、 そこに暮らすひとびとの 根の部分をどうデザインしていくかっていうこと なのかもしれないです。 |
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ああ、なるほどねえ。根の部分。 ‥‥いやあ、おもしろかったです。 ありがとうございました。 なんだかお互いに、 説明しづらいことをやっているから うまくしゃべれるかな、と思っていたけど 結局しゃべれちゃったね。 |
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はい。こちらこそ、ありがとうございました。 おもしろかったです。 なんだか今日は、ふだんメディアなどで しゃべっている話と すこし違う視点からの話になりました。 やっぱり「コミュニティデザイナー」と 名乗っているから こういう場では、コミュニティの話を よくすることになります。 でも今日はほとんど コミュニティの話をしてないです(笑)。 |
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(笑)また、お話聞かせてください。 |
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ええ、もちろん。 こちらこそまた、よろしくお願いします。 |
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(山崎亮さんとの対談はこれで終わりです。 お読みいただきまして、 ありがとうございました) |
2013-01-16-WED |