DAD
昼間のパパは、男だぜい!

第2弾その6
「こうして家業を継ぎました」
最後にプレゼントのお知らせがあります

4代目、持田康弘さんに、
家業を継ぐきっかけについてきいてみました。
4代目の場合、単に家業を継ぐということだけでなく、
関東で1軒になってしまった金平糖工場を継ぐという
意味も背負っていたわけですね。
もし4代目が継いでなかったら、
関東から金平糖工場がなくなっていたってことですよ。

「その前にちょっとこれを見てほしいんですよ。
ずいぶん古い本なんですけど、家宝ですね、ウチの」。



『菓子界奮闘録』……なんスか、これ?
分厚い本ですね、辞書みたい。
厚さが6センチはあるんじゃないですかねぇ。
本のタイトルからすると、
昔のお菓子業界の人たちの奮闘の記録ですね。

「森永製菓の創業者の話とか、けっこうすごい人が
名をつらねているんですよ。そのなかに、
おじいちゃん、2代目のことが書いてあるんです」。

昭和15年に発行されてます。
太平洋戦争の前ですね。
ちょっと読んでみていいですか。

「どうぞ、どうぞ」。



埼玉屋製菓所
持田重五郎氏
東京市足立区千住仲町五六



氏は親子二代にわたる業界人である。
先代は明治四十一年(1908年)五月に創業、
二代目の氏は大正十二年十一月業をうけついで
今日(昭和15年)に至っている。

その間多少の変化あるも大体に於いて二代にわたって
菓子業に従事して来た。江戸時代ならしらず、
現代(昭和15年)に於いて同じ職業を
二代三代とつづけて守って来るのは
比較的珍しいと云わねばならぬ。

氏の出身地は埼玉県大里郡八基村大字南阿賀野。
明治三十三年十一月二十一日の出生である。

しかして大正元年七月四日、十三歳の折上京して
業界入りをし、東京の真中で都会の菓子製造を
習得したのである。

昔から菓子そのものには各々個性があり、
地方地方によって種々工夫され、各地の持ち味を加味して
かなりの多様性を示している。
今日越の雪と云い、水戸の梅羊羹と云い、各地各地
独特の名菓を誇っているのはそれを示すものであるが、
しかし一面菓子は時代の流行であり外観と云い、味と云い、
必ず時代人の嗜好に適するように改良されてゆく。

しかしてその主流をなし、
よく時代に先駆してゆくのは都会の業界でなければならぬ。
都会人の感覚はたしかに鋭く批判的であり、
それが味と形態を美化するに極めて役立つものなのだ。

それがため製菓技術も進歩している事は云う迄もなく、
一流の業界人たらんとする者は
とにかく都会でみっちり研究しなければならない。

氏の少年の日の胸中にも必ずやそういう感慨が
あったであろう事は想像に難くない。

氏が年わづかに十三の幼弱をもって決然都の地へ
飛び出して来たのは、氏のために甚だ慶賀すべき
運命の岐路であったと思う。

しかして大正元年上京以来、同十二年十一月独立する迄
十二ヶ年の間ひたすら製菓の奥義をうかがい、経営の才を
練り他日の飛躍にそなえてやまなかったのである。

創業以来もまた年を閲する事二十年に近く、
落花糖、カリンカの製造家として名を成し、男七名、
女三名の従業員を擁する今日の地位を築いたのであるが、
氏をしてこの大をなさしめた一つの因は
氏の行くとして可ならざるなき明敏な頭脳の閃きを
見るのである。

加えて氏は極めて強烈な研究心の所有者である。
この旺盛な研究心と明敏な頭脳と両方が相そろって
氏の事業は歩一歩と飛躍を重ねて来たのであるが、
氏はまた自らの製菓の経験に立脚し、
いかにしたら最も能率的な製菓機具を作る事が出来るかを
熱心に研究した。その結果として氏独特の掛物製造機を
発明し、現に氏の工場で使用し、極めて高率な成績を
あげている。これはひとり氏の工場で使用しているのみで、
他の同業者の求めんとして求め得られない機械である。
この事のみをみても氏の研究心の強さと頭脳の鋭さを
証明してあまりあるものなのだ。
(中略)
家庭には夫人との間に四男二女を持つ子福者であり、
長男精一君……(中略)……四男忠義君……(中略)……、
六人の賑やかな一家である。
(後略)



なーるほどぉー。
創業は1908年ですかぁ。4代目の康弘さんが、
現役でバリバリやってるはずの2008年で100周年ですね。
2代目は13歳で東京で修業をはじめたんですねぇ。
13歳って今でいうと中1でしょ、
私はハナタレ小僧でしたよ。
で、後半に金平糖を作る機械を開発した話があって、
最後に、四男忠義君とあるのが、後の3代目ですね。
で、3代目のときに、千住から日暮里に移ったりとか、
戦争中はたいへんだったんですよね。

「父の代では、なんかいろいろあったみたいですね。
この本もボロボロになちゃって……」。

でも、この本、色つやが家宝っぽい。
ところで、4代目が家業を継ぐと決心したのは
どんな理由があったんですか?

「そうそう、その話でしたね。
やっぱ自分が小さい頃は
親父に対してちょっと反抗があったんですよ。
やっぱり小さい頃は仕事継ぎたくなかったんですよ。
兄貴がいるんだけど、出ていって、証券会社かな」。

そんな感じだったけれども、
「継ぐしかねぇな」って思った瞬間があったんですね。
7年前に。

「そうですね……。
あの本読まされたらねぇ、やっぱり(笑)」。

え? あの本読まされてグラッときちゃったんですか?
『菓子界奮闘録』ですよね。あー、まさに家宝。

「ちょっと座りなさいってことで、
いろいろ話をされて悩んでるときに、あの本読まされて、
『あー、やるしかないかな』って(笑)。
でもやってみたら実際自分に合ってたんですよ。
もともと凝り性なんで。
子供のころからものを作るのがけっこう好きだったんで、
今思えば、継いでよかったですよね。
まあ、悩んだ時期はありましたけど、
今では親父をメチャメチャ尊敬してますよ」。

ええ話ですねぇ。
だから7年間続けてこられたと。
この仕事してると体力つきそうですね?
暑さにも強くなりそうだし?

「そうですね。ちなみに万歩計つけると、
1日2万歩は超えます。多いときは3万歩ですよ。
継ぐ前、大学通ってた頃はタバコ吸ってたんですけど、
継いでからは、ダバコ吸ってるとバテちゃうんですよ。
もちろん工場では吸いません、禁煙ですから。
だから、仕事終わってから夜に吸う量が増えるでしょ。
そうするとバテるんですよね。年間通すと」。

学生のときの体力じゃやっていけなかったんですか!

「やっぱ仕事がハードだから。
今はもうタバコやめてますよ。
草野球チームで野球やって、運動して身体鍛えてると
なんとかもつって感じですね。
それで偉大さがわかりましたね、親父の。
親父はあーやってのほほんとやってるけど、
実際、自分でやってみたら、暑いし……」。

もし、学生の頃の康弘さんと、
当時の3代目が体力勝負をしたとしたら、
康弘さんのほうが若いにもかかわらず、負けたと?

「うんうん、そうですね。負けたでしょう。
だって、このグラニュー糖の袋30キロあるんですけど、
『あいよっ!』って朝イチから担ぐんですよ。
そんなねぇ、朝飯が逆流するって(笑)。
それ、鼻歌うたいながらやってたからねぇ、親父は。
今思うと、すごいなぁ、と」。



仕事継いでから、体力もついたし、
体調もいいわけですね。

「そうそうそう。健康的。
タバコも5年くらい吸ってないです。
夢では吸ってますけど(笑)。
お酒もそんなに飲まなくなったし」。

ちなみにお休みはあるんですか?

「基本的に日曜日はお休みにしてます。
ただ、3月のお雛祭り用の金平糖の準備をするのが
1年のうちでいちばん忙しいんですよ。
膨大な注文がくるんで、12月、1月、2月がピークです。
だから、この時期は日曜日もやる場合もあります。
『10トンよろしく』とか、
『こっちは4トンね』とか注文してもらっても、
金平糖は急にできるものじゃないし、
だから前もって少しずつ作っておいて準備するんです。
夏のほうがヒマなんです。
夏はお客さんが冷たい飲み物にいっちゃうでしょ。
だから、今年ウチのホームページをスタートさせたのも、
6月くらいから時間にゆとりができて
パソコンに向かえたからなんですよ」。

しかし、ドラひとつで120キロ作れるとしても、
10トン作るのって、ちょっと想像できませんよ。
時間かけるしかないというか、
冬はフル稼働でいくしかないんですね。
あと、1年のうちでいちばん金平糖の注文があるのが
雛祭りだったなんて、かなり意外でした。
私は男兄弟しかいなかったら、雛祭りのない家なんだけど、
思えば雛祭りに金平糖って合ってますよね。
子供、よろこびそうだもの。

「私事なんですけど、子供といえば、
そろそろ僕の家も子供が産まれるんですよ。
去年結婚したんですけど、結婚したときに
自分でこういう金平糖もつくっちゃって、シールつけて」。

ほほう、結婚式の引き出物バージョンですね。
こういうシールって業者に頼むと、
最低何枚からってあるんですよね?

「何枚からでもオッケーですよ。
このシール自分がパソコンで作ったんですよ。
業者さんに頼むと、やっぱり最低1万枚からとかだし、
お金もそれなりにかかるんで、
コスト削減のために、このシールは自作してます。
プリンターで出力して、切って、貼ったんですよ。
だからぜんぶ手作りです(笑)。
あと、今着てるTシャツのロゴも
コンピュータで作ったんですよ」。



うーん、コンピュータって便利!
ちなみに、この小さい袋詰め、
値段はいくらくらいですか?

「小さい袋詰めはだいたい150グラムで、
ウチは1グラム約1円で売ってますね。
いちばん小さな袋詰めで150〜170円くらいかな。
個人で買いにいらっしゃる場合は、だいたい原価です。
だから、近所のおばさんが買いに来たら、ほぼ原価ですよ。
ただ、店頭に並ぶと倍の値段してますよ。
問屋さん通して、販売店さん通してるんで。
だから、直接ウチに来れば、ほぼ原価で買えますよ。
で、自分はウチの金平糖を直接消費者に届けたいので、
今年の6月1日にホームページを立ち上げたんですよ」。

はじめて編集部宛にメールいただいて、
エビス堂さんのホームページ見たときに、
カウンターがたしか61人目とかだったんですよ。
で、まだスタートしたばかりなんだな、と思って。
コンピュータはずっと使ってたんですか?

「3年くらいですね、趣味で。
友だちとメールのやりとりをしてたんですよ。
で、やっぱホームページやらないってのは
もったいないじゃないですか。
前からホームページやりたいなとは思ってて、
で、やってみようと思って。
本読みながら、ぜんぶ自分で作ってみて、
文章も書いてみて(笑)」。

さきほど3代目と話してたとき、
商売的にはやっぱり今までどおり問屋さんに卸してるのが、
安定してるけど、ホームページを作ることで、
問屋さんの営業マンが営業する範囲にいない、
個人のお客さんに知ってもらえるのがいいな、と。
「ま、オレはわかんないけどよ」って言ってましたが。

「ホームページつくる許可とったら、
“勝手にやっていいよ”って(笑)。
自分は営業もやったことないし、
おじいちゃんの代(2代目)から
問屋さんが決まってるんですよ。
だから、名刺もいらないし、営業もいらないんですけど、
自分は直接お客さんと接してないから、
いろんなことがわかんないんですよね。
でも、お客さんと接したいからって、
お店持とうとしたらかなり資金かかるでしょ。
家賃だ、人件費だ、って。
で、『ホームページ作ろう!』と。
やっぱり、お客さんの話を直接聞きたいんですよ」。

そうですねぇ、こうして暑い工場でずっと働いてると、
たしかに、自分が作った金平糖を食べている
お客さんの表情や、声はわからないですよね。
いちばん知りたい部分でもありますよねぇ。

「たとえば自分が配達に行ったとしても、
だいたい行き先はでっかい倉庫とかなんですよ。
たまに小売店さんに配達すると
やはり値段が高くなってるんですよ。
ま、それが流通だから当たり前のことなんですけどね。
でもホームページの通販で直接買ってくれる人には、
値段も安くできるから、逆に金平糖の感想を
もらえたりするとうれしいですね」。

ホームページの通販には、
ぼちぼち注文が来てるんですか?

「いや、まだまだこれからですよ。
こないだ新婚旅行で京都行ったんですよ。
そしたら、京都の金平糖って高いんですよね。
こんなちっちゃくて500円とか……。
ウチのホームページの通販だったら、
京都の人もウチの金平糖買えますよ。
全国の人にウチの金平糖をもっと知ってほしいですね」。



ということで、6回にわたって連載してきた
関東で唯一の金平糖工場、エビス堂製菓工場の
レポートはこれでおしまいです。
今日も、明日も、明後日も、1年後も、10年後も、
4代目持田康弘さんは、あの暑さのなか、
ドラにつきっきりで金平糖を作っているのでしょう。
エビス堂製菓工場のホームページ に行けば、
いつでも3代目、4代目に会えますよ。

(おわり)

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関東最後の金平糖工場!
エビス堂製菓工場が誇る手作り金平糖をプレゼント!




きなこんぺ(120グラム+きな粉20グラム)
大輪金平糖(120グラム)
中輪金平糖(120グラム)
上の3商品のセットを抽選で10名の読者にプレゼント。
夕涼みのおともに、手作り金平糖はいかがでしょう?
4代目が10日間かけて育てた“大輪金平糖”を
味わってみてください。

応募方法
以下の応募用紙をコピー&ペーストして、
各項目を記入して sakana@1101.com まで、
メールで応募してください
締め切りは8月17日(火)の午後1時です。
(しめきりました。)


-----金平糖プレゼント応募用紙-----

1.お名前
2.郵便番号
3.住所
4.電話番号
5.「昼間のパパは、男だぜい!」で取材してほしい
  テーマがあれば書いてください。なければ未記入で
  けっこうです。

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当選者は、このコーナーで発表します。
なお、金平糖は、エビス堂製菓工場から郵送されます。

1999-08-12-THU

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