ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

うつくしいという羊。

物質というか「もの」ね、
そればっかりを大切にしようとする人も、
いないわけじゃない。
っていうか、いますよね。

いっぽうで、精神といいますか「こころ」ね、
そっちのほうばかり大事だと言いたがる人も、
これまた、いるんだよなぁ。

ほんとは、どっちをとるかっていうような
白か黒かっていう問題じゃないじゃないですか。
「唯物論」だとか「唯心論」だとかいう論を、
昔の人が考えちゃったからいけないのかなぁ。
「唯」には気をつけたほうがいいよね。
怒るからね、反対側の考えの人をね。

そういう「もの」のありがたみと、
「こころ」の大切とを、
まるごと持った感じで、いろんなものを見たいよね。
そういうことを思っているときに、
ふと思いだしたのが、
「美」という漢字だったんだよ。

いつだったか、「美」という文字は、
「羊が大きい」という意味を表わしているって
聞いたことがあったんだよ。
ずいぶん「もの」寄りの考えだとも言えるだろう。
しかも、その結果が「美」という「こころ」の感じだ。
まるまるふとった大きな羊を、
「うわぁ、いいなぁ」と思ったんだね、と、
おれは想像したんだ。
その「うわぁ、いいなぁ」の感じが、
のちのち長い時間を経て、「美」というものになった。
このくらいのバランスの考え方って、
すごくいいなぁと思ったんだよね。

その後、白川静先生の『常用字解』で
「美」っていう字を調べてみたら、
ぼくの想像とはちょいとちがってて、
羊が大きいというより、
羊の全身を描いたのが「美」らしいっていうんだけどね。
どっちにしても、
「うつくしい」は、成熟した羊のことなんだよ。
神さまに捧げられるごちそうとしての羊が、
「うつくしい」という意味を持つっていうのは、
よく表わしているよなぁ。

この「美」っていう字を、
ひとつの基準にして、いろんなことを考えると、
なんとなく「もの」と「こころ」のバランスが
うまくとれるような気がしているんだ。

「ゆたかさ」だとか「まずしさ」だとかも、
「もの」と「こころ」の両面にかかわることばだけど。
そういうことにも、応用がきくと思ったんだよね。
おおもとのところに、
「うつくしいって、羊のこと」という思いがあると、
いい感じでいられるんだよなぁ。

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