ポテンヒットと共に。
2009-06-08
ひさしぶりだな、まぁ、座れや。
特にお茶とか出さないけどな。
かならずお茶がでるもんだと思ったら、大まちがいだ。
出るときもある、出ないときもある。
いつも、あそこの家のお茶はうまいね、なんてさ、
言われるようじゃいけないよな。
当てにされ茶、いけない。お茶ぐらいのことをさ。
今日はな、人生の大切を語るぞ。
おおげさに聞け。
あのな。
人の人生はな、ポテンヒットの数で決まる。
いいだろう。これ。
ホームランだとか、ヒットの数だとか、
出場回数だとか、打点だとか、いろいろとさ、
わかりやすいお手柄というものがあるけれど、
ポテンヒットの多い人間が、いちばんいいんだ。
ポテンヒットというのは、
当たりもよくない、打ちそこないみたいなもんだ。
たまたま、守備位置の間のところに落ちて、
記録としてヒットになっちまったものだ。
そう言われているし、たぶん、そうだ。
ポテンヒットの価値を語る流派も、もともとあった。
「ポテンヒットというのは、
バットを振り切っているからこそ、出る」
そういう解説をする者もいるな。
全力でバットを振りきる意思、そういうものが、
手前で落ちたかもしれない打球を、
もうちょっと先にまで飛ばすということかな。
意思とか、心持ちとか、勇気とか、
なんか、心の強さが運を呼び込んだ、
ということにして、
だから価値があるっていうんだろうけどさ。
そりゃぁ、ちがうんだ。
ポテンヒットはポテンヒットだ。
振り切らなくても、あるよ。
おっとっとって、ポテンって、落ちちゃうんだもん。
野球界で、いちばんポテンヒットを打ったのは誰か。
そんな記録は、ないんだよね。
巨人の偉大なるV9監督、川上哲治さんが、
選手時代に「テキサスの哲」と
呼ばれていたとかいうけれどね。
テキサスというのは、テキサスヒットの略だね、
ポテンヒットのことなんだよね。
だけど、そういうのも、印象ってやつだしね。
正直言ってさ、ポテンヒットのえらさなんて、
本気でそういうヒットの数なんか数えられちゃったら、
おもしろくなくなっちゃうんだ。
全選手の全安打のうちの、
ポテンヒットと思われるヒットを数えても、
おれの言いたいことは表現できないんだ。
このさ、言いたいこと自体がポテンヒットなの。
わかるかなぁ。
世界一ホームランを打った人にしても、
世界一ヒットを打った人にしても、
そこで、表現されちゃうんだよ。
でもさ、そんなやつはいないんだけど、
「世界一ポテンヒットを打つ選手」っていうのは、
わけわかんないんだよ。
ついでに言えば、本人にも、わかんないんだ。
そういうのが、最高だよ。
娘がいたら嫁にやりたいのは、
ポテンヒットを打つやつだよ。
高級品だよ、そういうやつは。
え?
でたらめを言ってるだけのように聞こえる?
そうだろうそうだろう。
でたらめだもの。
でたらめなんだけど、聞けるか?
聞いているうちに、ポテンヒットを打てるようになるぞ。
もっと聞くか?
聞かない?
もったいないなぁ。
ポテンヒットの少ない人生なんて、
一万円札しか入ってない財布みたいなもんだぞ。
そういうのが、好きだって?
しょうがないなぁ、まったく。
悲しいもんだぞ、一万円札しかない財布なんて。
ポテンヒットは、ナイスな雑種犬だ。
どうだ、かわいいと思わないか。
そうでもないか。
ポテンヒットは、このへんで話をやめちゃうことだ。
ほんとにやめるぞ。
じゃあ、な。
ポテン。
人生の大切を語って、おれは寝る。
よかったなぁ、おまえ。