ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

ポテンヒットと共に。

ひさしぶりだな、まぁ、座れや。
特にお茶とか出さないけどな。
かならずお茶がでるもんだと思ったら、大まちがいだ。
出るときもある、出ないときもある。
いつも、あそこの家のお茶はうまいね、なんてさ、
言われるようじゃいけないよな。
当てにされ茶、いけない。お茶ぐらいのことをさ。

今日はな、人生の大切を語るぞ。
おおげさに聞け。

あのな。
人の人生はな、ポテンヒットの数で決まる。
いいだろう。これ。
ホームランだとか、ヒットの数だとか、
出場回数だとか、打点だとか、いろいろとさ、
わかりやすいお手柄というものがあるけれど、
ポテンヒットの多い人間が、いちばんいいんだ。

ポテンヒットというのは、
当たりもよくない、打ちそこないみたいなもんだ。
たまたま、守備位置の間のところに落ちて、
記録としてヒットになっちまったものだ。
そう言われているし、たぶん、そうだ。

ポテンヒットの価値を語る流派も、もともとあった。
「ポテンヒットというのは、
 バットを振り切っているからこそ、出る」
そういう解説をする者もいるな。
全力でバットを振りきる意思、そういうものが、
手前で落ちたかもしれない打球を、
もうちょっと先にまで飛ばすということかな。

意思とか、心持ちとか、勇気とか、
なんか、心の強さが運を呼び込んだ、
ということにして、
だから価値があるっていうんだろうけどさ。
そりゃぁ、ちがうんだ。

ポテンヒットはポテンヒットだ。
振り切らなくても、あるよ。
おっとっとって、ポテンって、落ちちゃうんだもん。

野球界で、いちばんポテンヒットを打ったのは誰か。
そんな記録は、ないんだよね。
巨人の偉大なるV9監督、川上哲治さんが、
選手時代に「テキサスの哲」と
呼ばれていたとかいうけれどね。
テキサスというのは、テキサスヒットの略だね、
ポテンヒットのことなんだよね。

だけど、そういうのも、印象ってやつだしね。
正直言ってさ、ポテンヒットのえらさなんて、
本気でそういうヒットの数なんか数えられちゃったら、
おもしろくなくなっちゃうんだ。
全選手の全安打のうちの、
ポテンヒットと思われるヒットを数えても、
おれの言いたいことは表現できないんだ。

このさ、言いたいこと自体がポテンヒットなの。
わかるかなぁ。
世界一ホームランを打った人にしても、
世界一ヒットを打った人にしても、
そこで、表現されちゃうんだよ。
でもさ、そんなやつはいないんだけど、
「世界一ポテンヒットを打つ選手」っていうのは、
わけわかんないんだよ。
ついでに言えば、本人にも、わかんないんだ。
そういうのが、最高だよ。

娘がいたら嫁にやりたいのは、
ポテンヒットを打つやつだよ。
高級品だよ、そういうやつは。

え?
でたらめを言ってるだけのように聞こえる?
そうだろうそうだろう。
でたらめだもの。
でたらめなんだけど、聞けるか?
聞いているうちに、ポテンヒットを打てるようになるぞ。
もっと聞くか?

聞かない?
もったいないなぁ。
ポテンヒットの少ない人生なんて、
一万円札しか入ってない財布みたいなもんだぞ。
そういうのが、好きだって?
しょうがないなぁ、まったく。
悲しいもんだぞ、一万円札しかない財布なんて。

ポテンヒットは、ナイスな雑種犬だ。
どうだ、かわいいと思わないか。
そうでもないか。
ポテンヒットは、このへんで話をやめちゃうことだ。
ほんとにやめるぞ。

じゃあ、な。
ポテン。

人生の大切を語って、おれは寝る。
よかったなぁ、おまえ。

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