ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

駄菓子屋についてのおしゃべり。

「駄菓子屋」というものがあったんだよ。
いまでも、あちこちに少しは残ってるんだけど、
知らない子どもも多いだろうなぁ。

「お菓子屋」はお菓子を売っている店なんだ。
でもね、「駄菓子屋」ってのはさ、
お菓子ばかりじゃなくて、賭博や、運動具や、軽食や、
玩具やらを売っている店だったんだよね。

運動具っていうのは、
布でできた野球のボールだとか、
すぐにパンクするテニスのボールなんかだ。

軽食っていうのは、
いまでいう「もんじゃ焼き」の原初のものだね。
うどん粉を水で薄く薄く溶いたものを、
店の隅にある鉄板で焼いてさ、
ソースをつけて食べるんだよ。
たしか、一人前がお椀に一杯で5円だったな。
ソースのおかわりは1円だった。

賭博っていうのは、ま、「くじ」だよ。
風船だの、いちごのかたちをした飴だの、
ちょっとしたプラスチックの玩具だの、
少年雑誌の付録だの、メンコだのを、
特等賞から、ハズレまでに分けて飾ってあるんだ。
特等とハズレの差は、そりゃもう、すごいわけよ。
いまの価値でいえば、1000円と10円くらいの感じかな。
ハズレの景品については、もうね、
まったくこどもごころにも価値のないものでね。
当たりとハズレの賭博行為が、
なによりおもしろかったわけだよね。

お菓子屋っていうのは、お菓子を売ってる。
そして、駄菓子屋は「おたのしみ」を売っていたんだね。
しかも、チープな「おたのしみ」ね。
下町の、お金なんか持ってないこどもたちの
すぐに手に入る「おたのしみ」を売っているわけだ。

もともと裕福でないこどもが相手だから、
いわゆる「こどもだまし」もあったんだなぁ。
正直で通ってる駄菓子屋もあったろうし、
貧しい知恵をしぼって、
ちょっとでも余計に小銭を儲けようとする
しょうもない「わるい駄菓子屋」もあったんだよ。

「わるい」ことの典型は、
くじのなかに当たりを入れないという方法だ。
駄菓子の問屋から仕入れた「くじセット」は、
大当たりや当たりのくじを、別にしてあるんだ。
その大当たりが引けるくじを入れないで、
特等賞の景品をこれ見よがしに飾っておけば、
なんにも知らないこどもは、当たるまではくじを引くよね。
でも、引けるくじが最後のひとつになっても、
なんと、当たりは出ませんでした~なんてことが、
あちこちであったんだなぁ。

そうすると、大当たりの景品が誰の手にも渡らずに、
店に残っちゃうだろ。
この残った(たいそう立派な)景品を、
なんとまぁ、300円くらいで売っちゃったりするんだ。
「わるい」だろー?

そういう「わるい」ことをやってもさ、
消費者保護みたいなこと、関係なかったからね、
「わるい駄菓子屋」は、元気だったよ。
逃げも隠れもせずに、「わるい」ことしてたと思うよ。
‥‥ちょっと、おもしろくない?
だまされたこどもはかわいそうだとか、
「わるい」ことは、わるいだろう、とか、
そりゃぁ正論があるのはわかるんだけどさぁ、
なんか、おもしろいんだよなぁ。

こういう「わるい駄菓子屋」が、
どうして生き残っていられたかという、
理由がちゃんとあるんだよな。

まずは、こういう店は、「逃げない」だろ。
昔からそこにいて、どこかへ行っちゃわない。
なんにせよ、地元なんだよね。
顔も知られてるし、親だの娘だのも知られてる。
だから、「わるい」にリミットがあるんだよな。
くじ引きのインチキを見ぬいたガキが、
どんだけ「きったねーっ!」とか言おうと、
今日も明日も、平気な顔して、店にいるからね。
お客が怒ったって笑ったって、関係ないんだよ。
「いらっしゃーい」で、帳消しなんだ。

あ、そういうふうに考えると、
いまの時代の店って、どこかから来た店で、
誰が社長かわからない店だったりして、
うまくいかなかったら閉店しちゃったりして、
で、文句言ったらすぐ謝っちゃったりして、
おもしろくないって言えば、おもしろくないよね。

なにも、「わるい」ことするのがおもしろい
と言うわけじゃないんでさ。
いろいろな場面のいろいろな判断が、
ただの法律とかルールとかじゃなくて、
人間がやっていたというのが、
おもしろいんじゃないかねぇ。

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