駄菓子屋についてのおしゃべり。
2009-08-10
「駄菓子屋」というものがあったんだよ。
いまでも、あちこちに少しは残ってるんだけど、
知らない子どもも多いだろうなぁ。
「お菓子屋」はお菓子を売っている店なんだ。
でもね、「駄菓子屋」ってのはさ、
お菓子ばかりじゃなくて、賭博や、運動具や、軽食や、
玩具やらを売っている店だったんだよね。
運動具っていうのは、
布でできた野球のボールだとか、
すぐにパンクするテニスのボールなんかだ。
軽食っていうのは、
いまでいう「もんじゃ焼き」の原初のものだね。
うどん粉を水で薄く薄く溶いたものを、
店の隅にある鉄板で焼いてさ、
ソースをつけて食べるんだよ。
たしか、一人前がお椀に一杯で5円だったな。
ソースのおかわりは1円だった。
賭博っていうのは、ま、「くじ」だよ。
風船だの、いちごのかたちをした飴だの、
ちょっとしたプラスチックの玩具だの、
少年雑誌の付録だの、メンコだのを、
特等賞から、ハズレまでに分けて飾ってあるんだ。
特等とハズレの差は、そりゃもう、すごいわけよ。
いまの価値でいえば、1000円と10円くらいの感じかな。
ハズレの景品については、もうね、
まったくこどもごころにも価値のないものでね。
当たりとハズレの賭博行為が、
なによりおもしろかったわけだよね。
お菓子屋っていうのは、お菓子を売ってる。
そして、駄菓子屋は「おたのしみ」を売っていたんだね。
しかも、チープな「おたのしみ」ね。
下町の、お金なんか持ってないこどもたちの
すぐに手に入る「おたのしみ」を売っているわけだ。
もともと裕福でないこどもが相手だから、
いわゆる「こどもだまし」もあったんだなぁ。
正直で通ってる駄菓子屋もあったろうし、
貧しい知恵をしぼって、
ちょっとでも余計に小銭を儲けようとする
しょうもない「わるい駄菓子屋」もあったんだよ。
「わるい」ことの典型は、
くじのなかに当たりを入れないという方法だ。
駄菓子の問屋から仕入れた「くじセット」は、
大当たりや当たりのくじを、別にしてあるんだ。
その大当たりが引けるくじを入れないで、
特等賞の景品をこれ見よがしに飾っておけば、
なんにも知らないこどもは、当たるまではくじを引くよね。
でも、引けるくじが最後のひとつになっても、
なんと、当たりは出ませんでした~なんてことが、
あちこちであったんだなぁ。
そうすると、大当たりの景品が誰の手にも渡らずに、
店に残っちゃうだろ。
この残った(たいそう立派な)景品を、
なんとまぁ、300円くらいで売っちゃったりするんだ。
「わるい」だろー?
そういう「わるい」ことをやってもさ、
消費者保護みたいなこと、関係なかったからね、
「わるい駄菓子屋」は、元気だったよ。
逃げも隠れもせずに、「わるい」ことしてたと思うよ。
‥‥ちょっと、おもしろくない?
だまされたこどもはかわいそうだとか、
「わるい」ことは、わるいだろう、とか、
そりゃぁ正論があるのはわかるんだけどさぁ、
なんか、おもしろいんだよなぁ。
こういう「わるい駄菓子屋」が、
どうして生き残っていられたかという、
理由がちゃんとあるんだよな。
まずは、こういう店は、「逃げない」だろ。
昔からそこにいて、どこかへ行っちゃわない。
なんにせよ、地元なんだよね。
顔も知られてるし、親だの娘だのも知られてる。
だから、「わるい」にリミットがあるんだよな。
くじ引きのインチキを見ぬいたガキが、
どんだけ「きったねーっ!」とか言おうと、
今日も明日も、平気な顔して、店にいるからね。
お客が怒ったって笑ったって、関係ないんだよ。
「いらっしゃーい」で、帳消しなんだ。
あ、そういうふうに考えると、
いまの時代の店って、どこかから来た店で、
誰が社長かわからない店だったりして、
うまくいかなかったら閉店しちゃったりして、
で、文句言ったらすぐ謝っちゃったりして、
おもしろくないって言えば、おもしろくないよね。
なにも、「わるい」ことするのがおもしろい
と言うわけじゃないんでさ。
いろいろな場面のいろいろな判断が、
ただの法律とかルールとかじゃなくて、
人間がやっていたというのが、
おもしろいんじゃないかねぇ。