先ず、人はいろいろであります。
2010-03-22
ただただ漫然と、
ひたすらのんべんだらりと、
いいかげんにやってるだけでもないので、
株式会社東京糸井重里事務所についても、
「わたくしたちの考え」というか、
一般にいわれる「社是」とか
「企業理念」とか、
「経営理念」だとか、
そんなふうなものって、できないものか。
ずっと何年もそう思っていた。
つまり、直接的にことばにしてはいなかったけれど、
ぼくらはぼくらなりに、
「なんらかの共通の考え」だとか、
「そういえばそうしてきたルール」だとか、
「これはちがうだろう、と思う基準」だとかが、
あるにちがいないのだ。
あることはあるのだけれど、
まとまったことばにすることで、
そのほんとのところが逃げてしまうのではないかと思って、
かたちにするのを、ためらってきたということでもある。
かたちにすると、かたちだけ守ってれば、
それでよいような気にもなりやすいからだ。
でもねー、残念な気もするのだ。
だって、たしかにあるもの。
口に出していないからわかりにくいけれど、
ぼくらが「こうしていこう」と思っていること。
これまでにも、
「あたためたい」だとか、
「やわらかくしたい」だとか、
「たのしくしたい」だとかは言ってきた。
これは、企業理念というものではないのか。
じぶんを、じぶんたちを、社会を「あたためたい」。
そういうのでもいいような気がするんだけれど、
仮に新卒の学生に向って、
「うちの会社は、あたためたいんです」
と会社説明をして、それでいいのかなぁ。
「あたためたいし、やわらかくしたいんです。
そんでもって、たのしくしたい会社です」
というようなことで、理解は得られるか?
わかってもらえるなら、それでいいような気もする。
でも、もうちょっと、
持ち運びもしやすいことばにしたいと思うのだ。
「あたためたい」「やわらかくしたい」「たのしくしたい」
では、保管が利かない、運搬ができない気がする。
あるものごとを、ぼくらならどうするか?
というミーティングをしているときに、
「やわらかくしたい、のだから、こうするんだ」
という具合に、話を進めていけるんだろうか。
ま、はっきり言って、
ちょっとばかみたいな感じにならないかなぁ。
ばかみたいな感じになっても、別にいいんだけど、
もうちょっとね、たとえば、
いま読んでいたリクルートの江副さんの本には、
「経営の三原則
1 社会への貢献
2 個人の尊重
3 商業的合理性の追求」と書いてあった。
これが社是というものにあたるらしい。
そういえば、リクルートの人たちって、
こういうふうな原則で動いているような気がする。
で、社訓というのは
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
だという。
なるほどなぁ、そういうふうに生きてる人が、
この会社の理想のメンバーなんだろうなと思える。
いや、ぼくはリクルートの人じゃないから、
これをまったくうらやましいものだとは思わないけれど、
ちょっとね、うちならではのものが、ほしい。
はじめにもどっちゃうけれど、
その理由は、つまり、
ぼくらにはぼくらなりに、
「なんらかの共通の考え」だとか、
「そういえばそうしてきたルール」だとか、
「これはちがうだろう、と思う基準」だとかが、
あるにちがいないのだ、と思うからだ。
さらにはじめにもどっちゃうけれど、
ぼくは、ずっとこのことについては考えているのだ。
最近の「ほぼ日手帳」には、こんなことを書きつけた。
<先ず、人はいろいろであります。>
この見出しではじまる「企業理念」って、
できないものかなぁ、と思いついたのだった。
「社会には、もちろん、お客さまにも、会社にも、
家族にも、いろいろの人がいて、
いろいろの思いや考えがあります。
それが、あたりまえのことで、
いろいろのままで、うまくやっていく。
これが、先ず、です。前提になります」
というふうに、文章は続く予定なのだけれど、
そんなの、だめかなぁ。