ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

先ず、人はいろいろであります。

ただただ漫然と、
ひたすらのんべんだらりと、
いいかげんにやってるだけでもないので、
株式会社東京糸井重里事務所についても、
「わたくしたちの考え」というか、
一般にいわれる「社是」とか
「企業理念」とか、
「経営理念」だとか、
そんなふうなものって、できないものか。

ずっと何年もそう思っていた。

つまり、直接的にことばにしてはいなかったけれど、
ぼくらはぼくらなりに、
「なんらかの共通の考え」だとか、
「そういえばそうしてきたルール」だとか、
「これはちがうだろう、と思う基準」だとかが、
あるにちがいないのだ。

あることはあるのだけれど、
まとまったことばにすることで、
そのほんとのところが逃げてしまうのではないかと思って、
かたちにするのを、ためらってきたということでもある。
かたちにすると、かたちだけ守ってれば、
それでよいような気にもなりやすいからだ。

でもねー、残念な気もするのだ。
だって、たしかにあるもの。
口に出していないからわかりにくいけれど、
ぼくらが「こうしていこう」と思っていること。

これまでにも、
「あたためたい」だとか、
「やわらかくしたい」だとか、
「たのしくしたい」だとかは言ってきた。
これは、企業理念というものではないのか。
じぶんを、じぶんたちを、社会を「あたためたい」。
そういうのでもいいような気がするんだけれど、
仮に新卒の学生に向って、
「うちの会社は、あたためたいんです」
と会社説明をして、それでいいのかなぁ。
「あたためたいし、やわらかくしたいんです。
 そんでもって、たのしくしたい会社です」
というようなことで、理解は得られるか?
わかってもらえるなら、それでいいような気もする。
でも、もうちょっと、
持ち運びもしやすいことばにしたいと思うのだ。
「あたためたい」「やわらかくしたい」「たのしくしたい」
では、保管が利かない、運搬ができない気がする。

あるものごとを、ぼくらならどうするか?
というミーティングをしているときに、
「やわらかくしたい、のだから、こうするんだ」
という具合に、話を進めていけるんだろうか。
ま、はっきり言って、
ちょっとばかみたいな感じにならないかなぁ。
ばかみたいな感じになっても、別にいいんだけど、
もうちょっとね、たとえば、
いま読んでいたリクルートの江副さんの本には、
「経営の三原則
 1 社会への貢献
 2 個人の尊重
 3 商業的合理性の追求」と書いてあった。
これが社是というものにあたるらしい。
そういえば、リクルートの人たちって、
こういうふうな原則で動いているような気がする。
で、社訓というのは
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
だという。
なるほどなぁ、そういうふうに生きてる人が、
この会社の理想のメンバーなんだろうなと思える。

いや、ぼくはリクルートの人じゃないから、
これをまったくうらやましいものだとは思わないけれど、
ちょっとね、うちならではのものが、ほしい。
はじめにもどっちゃうけれど、
その理由は、つまり、
ぼくらにはぼくらなりに、
「なんらかの共通の考え」だとか、
「そういえばそうしてきたルール」だとか、
「これはちがうだろう、と思う基準」だとかが、
あるにちがいないのだ、と思うからだ。

さらにはじめにもどっちゃうけれど、
ぼくは、ずっとこのことについては考えているのだ。
最近の「ほぼ日手帳」には、こんなことを書きつけた。

<先ず、人はいろいろであります。>

この見出しではじまる「企業理念」って、
できないものかなぁ、と思いついたのだった。

「社会には、もちろん、お客さまにも、会社にも、
 家族にも、いろいろの人がいて、
 いろいろの思いや考えがあります。
 それが、あたりまえのことで、
 いろいろのままで、うまくやっていく。
 これが、先ず、です。前提になります」
というふうに、文章は続く予定なのだけれど、
そんなの、だめかなぁ。

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