歌のなかのまぼろしの「おまえ」というひと。
2010-05-03
このところ、ここでは、
歌のことについて書くことが多かったけれど、
もうちょっと、続けてみようかと思う。
恋の歌、たくさんあるんだけれど、
「おまえがいてくれてよかった」
という内容のもの、けっこうあるわけさ。
貧しかったりね、
社会に受け入れられなかったり、
後ろ指さされるような立場になったり、
とにかく、他になんにもいいことがない人間に、
「おまえ」がいてくれたという歌があるんだな。
松尾和子の歌った『再会』なんて、
刑務所にいる人を思う歌だったりもするわけで、
いまの時代だったら、どう受けとめられるのかしらん。
なんにもないけど、愛し愛されるひとがいる。
これはね、なんとも魅力的なシチュエーションだよ。
幾億千万を敵にしようと、
たったひとりおまえがいてくれる。
古典的な舞台の世界なんかだったら、
いわば「道行きもの」「心中もの」ということか。
これ、「つらい歌」みたいに歌われるんだけれど、
思えば、ものすごく「うらやまれる歌」なんだよね。
愛し愛される、しかも、信じ信じられる人なんて、
そうそう「いる」とは言えないわけだよ、人間って。
でも、この種類の歌のなかには存在するんだな。
しかも、その「おまえ」というの人は、
幾兆幾億幾千万の敵や災難が襲いかかろうと、
裏切らないことはもちろん、逃げもしないし、
たじろぎもみじろぎもせずに、
主人公を愛し信じ続けてくれるんだ。
実は、これ、愛のユートピアの歌なんだよね。
よくある愛の歌なんかじゃ、ぜんぜんない。
ユートピア、理想郷の歌なんだ、実はね。
貧しさやら、冷たい世間への憎しみやらで、
世界に「汚し」をかけているから気づきにくいけど、
最高に理想主義的な内容なんだな。
ふんだりけったりの状況にいる男(女でもいいけど)は、
たいていの場合、というか、ほとんどすべてのケースで、
愛し、信じてくれる「おまえ」なんか、いないの。
「ボニー&クライド」だとか「シド&ナンシー」とか、
社会的にワルと言われるような男女の組み合わせも、
よくドラマになるんだけれど、
それはそれで、めずらしいユートピアを描いているから、
おもしろいんだよな。
ついてないやつ、悪いやつと思われてるやつ、
出た目出た目が不幸につながるやつ、
ここには、「おまえ」はいないんだよなぁ。
だから、まぼろしの「おまえ」のことや、
もしかしたら「おまえ」になってくれるかもしれない
異性のことを思って、目を閉じて歌うわけだよ。
どんなにつらいときでも、おまえがいてくれる‥‥
という歌をね。
歌は、いい意味でも、よく効くモルヒネさ。
痛みもつらさも、いっとき忘れさせてくれる。
忘れているうちに、自然治癒することもあるからね。
まぼろしの「おまえ」は、
歌のなかには、永遠に存在するんだ。