本を読む。ことばを引き継ぐ。
2010-05-10
いろんなおもしろい本やら、
役に立つ本やらがあって、
1000円や2000円で、
こんなにおもしろい気持ちにさせてもらったり、
こんな大事なことを教えてもらったりして、
よろしいのでしょうか、
と言いたいくらいのことが書いてあったりする。
最近、復活という感じで
ドラッカーの本が売れているけれど、
ぼくがよく例に出す「顧客の創造」
ということばだけだって、
ほんとうにそれを吸収して、
実際に役立てたら「100まんえん」くらい出しても
安いくらいの恩恵があると思う。
例えばこの「顧客の創造」ということば、
これまでに「100まんにん」以上の人が読んだろう。
そして、人によっては、「あ、そうか」と思い、
人によっては「ふーん」と思い、
また別の人は「そんなことばあったけ?」と思ったろう。
おそらく、読んで「うわぁっ!」と驚愕し、
一生忘れないようにしようとして、
なにかにつけて思い出している人だけが、
このことばを引き継いだ人なのだろうなぁ。
「100まんにん」に届いていても、
それは「100まんにん」には引き継がれないんだよな。
そういうものなんだな。
このごろ、本田宗一郎っていう人の本を、
まとめ読みしはじめたんだけど、
これが、もう、ダイヤモンドの原石が、
なにげなくごろごろしているんだよなぁ。
ちょっと引用しちゃおうかな。
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よく私のことを世の中の人は「カミナリ族の大親分」「アプレ経営本田」というアダ名で呼んでいる。私には両方とも非常に歓迎する言葉である。
(中略)
カミナリといわれるような性能のオートバイをつくったということが、要するに現在の輸出を支えている、こう私は自負しているからだ。
(またしばらく中略)
ところがほめ言葉のうちでいやな言葉がある。それは「本田さん、ブームでいいですねぇ」という言葉だ。こんないやなカンにさわる言葉はない。ブームというのはすでに需要があるところに、だれかがつくる、そういう意味だと思う。私たちがやる仕事はそこに需要があるからつくるのではない。
私たちが需要をつくりだしたのである。これが企業というのものでなくてはならんと思う。ブームだからつくったというのでは、どうにもわれわれは納得できない。
あの小型エンジンで強力なものを私たちがつくり出したから、日本人に愛され、世界中に愛されるようになったという自負心を持っている、そこへもってきて「ブームだから本田さんいいですねぇ」といわれたのでは、われわれは納得できない。
われわれはあくまでもブームをつくる人間であるべきだと思う。
<『俺の考え』本田宗一郎(新潮文庫)より>
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これを、いまさかんに
市場調査をやっている最中の
仲間に向って演説したら、
嫌われるだろうとは思うよ。
「ブームに乗れ」というビジネスをしている人にも、
否定されるかもしれない。
だけど、どっちが「ほんとう」かといえば、
ここで本田宗一郎が言ってることのほうだろう。
「どこに需要があるんだ?」を探すことばかりが、
仕事みたいになっちゃっている時代に、
このあたりを読んだら、しびれるよねぇ。
しかも、この発言、1960年代の初めのものだからねー。
(つまりは、昔からほとんどの人々は、
「需要はどこだ」と探すばかりだったんだろうな)
だけど、これにしたって、
「あ、そうそう」「そうさ、知ってるよ」
なんて感情を揺さぶられないままに知っても、
ことばを引き継げないんだよねぇ。
「100まんにん」が、目にしたり、記憶してることば。
それは、建物にならない材木のように、
そこらへんで、ただの話のタネにだけなってるんだろうね。
読んでびっくりできるかどうか、
せっかく読んだのに忘れちゃってるじゃないかと、
じぶんに問いかけられるか、
そこらへんが、ことばを引き継ぐということかな。
ぼくも、いろんな本を読んだ
「100まんにん」のひとりとして、
じぶんのびっくりしたことばで、
じぶんのなにやらを建ててみたいもんだと思う。