ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

本を読む。ことばを引き継ぐ。

いろんなおもしろい本やら、
役に立つ本やらがあって、
1000円や2000円で、
こんなにおもしろい気持ちにさせてもらったり、
こんな大事なことを教えてもらったりして、
よろしいのでしょうか、
と言いたいくらいのことが書いてあったりする。

最近、復活という感じで
ドラッカーの本が売れているけれど、
ぼくがよく例に出す「顧客の創造」
ということばだけだって、
ほんとうにそれを吸収して、
実際に役立てたら「100まんえん」くらい出しても
安いくらいの恩恵があると思う。

例えばこの「顧客の創造」ということば、
これまでに「100まんにん」以上の人が読んだろう。
そして、人によっては、「あ、そうか」と思い、
人によっては「ふーん」と思い、
また別の人は「そんなことばあったけ?」と思ったろう。
おそらく、読んで「うわぁっ!」と驚愕し、
一生忘れないようにしようとして、
なにかにつけて思い出している人だけが、
このことばを引き継いだ人なのだろうなぁ。
「100まんにん」に届いていても、
それは「100まんにん」には引き継がれないんだよな。
そういうものなんだな。

このごろ、本田宗一郎っていう人の本を、
まとめ読みしはじめたんだけど、
これが、もう、ダイヤモンドの原石が、
なにげなくごろごろしているんだよなぁ。
ちょっと引用しちゃおうかな。

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よく私のことを世の中の人は「カミナリ族の大親分」「アプレ経営本田」というアダ名で呼んでいる。私には両方とも非常に歓迎する言葉である。
(中略)
カミナリといわれるような性能のオートバイをつくったということが、要するに現在の輸出を支えている、こう私は自負しているからだ。

(またしばらく中略)

ところがほめ言葉のうちでいやな言葉がある。それは「本田さん、ブームでいいですねぇ」という言葉だ。こんないやなカンにさわる言葉はない。ブームというのはすでに需要があるところに、だれかがつくる、そういう意味だと思う。私たちがやる仕事はそこに需要があるからつくるのではない。
 私たちが需要をつくりだしたのである。これが企業というのものでなくてはならんと思う。ブームだからつくったというのでは、どうにもわれわれは納得できない。
 あの小型エンジンで強力なものを私たちがつくり出したから、日本人に愛され、世界中に愛されるようになったという自負心を持っている、そこへもってきて「ブームだから本田さんいいですねぇ」といわれたのでは、われわれは納得できない。
 われわれはあくまでもブームをつくる人間であるべきだと思う。

<『俺の考え』本田宗一郎(新潮文庫)より>
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これを、いまさかんに
市場調査をやっている最中の
仲間に向って演説したら、
嫌われるだろうとは思うよ。
「ブームに乗れ」というビジネスをしている人にも、
否定されるかもしれない。

だけど、どっちが「ほんとう」かといえば、
ここで本田宗一郎が言ってることのほうだろう。
「どこに需要があるんだ?」を探すことばかりが、
仕事みたいになっちゃっている時代に、
このあたりを読んだら、しびれるよねぇ。
しかも、この発言、1960年代の初めのものだからねー。
(つまりは、昔からほとんどの人々は、
 「需要はどこだ」と探すばかりだったんだろうな)

だけど、これにしたって、
「あ、そうそう」「そうさ、知ってるよ」
なんて感情を揺さぶられないままに知っても、
ことばを引き継げないんだよねぇ。
「100まんにん」が、目にしたり、記憶してることば。
それは、建物にならない材木のように、
そこらへんで、ただの話のタネにだけなってるんだろうね。

読んでびっくりできるかどうか、
せっかく読んだのに忘れちゃってるじゃないかと、
じぶんに問いかけられるか、
そこらへんが、ことばを引き継ぐということかな。
ぼくも、いろんな本を読んだ
「100まんにん」のひとりとして、
じぶんのびっくりしたことばで、
じぶんのなにやらを建ててみたいもんだと思う。

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