<語りにくいし語りたくないような話だけれど>
インターネットで、いまスキャンダルになっている
毒物自殺の人の「書き込み」を読んで、
いままでにない気持ちをあじわった。
遺書であるとか、
メディアによる報道で知る「死んだ人の発言」は、
すこしもめずらしいものではないけれど、
今回のことで、「ドクター・キリコの診察室」の
本人たちの書き込みを見たときには、
経験したことのない胸騒ぎを感じてしまった。
デジタルの信号に変換されて、
ひとりひとりの受信者は、
その情報を受け取っているだけなのだけれど、
発信者の出した情報に、意味的な編集はされていない。
これが、直接的な、精神への刺激を与えてしまうのだろう。
その死をめぐって、悪ふざけするものも、
自分の理解にあわせた「報道」をするメディアも、
いつものように登場しているけれど、
とても誠意をこめてコミュニケーションしようとする
文章が混じってきている。
伝えたい理解したい理解されたいという気持ちが、
一所懸命にことばを探しているようすを、
「識者」とかには読んでみてもらいたいと思う。
従来のモラルで説明しきれなくなっている
自殺や死の概念や、ひるがえって生そのもののことを、
必死で考えようとしている人々のことを、
なめちゃいけないんだ、
「悪ふざけ」のロールプレイをしていたはずの
すれっからしの人も、
声のトーンを低くするようにして、
ふたりの若者の死を冒涜するような発言に
怒ったりしている。
彼らが、こんなにことばというものを必要として、
それをまじめに使って、話をしたがっていることを、
大人は邪魔しないでほしいと思う。
なにも教えられないし
偉そうなことは言えるはずもないけれど、
その場を奪わないことくらいは、いいだろう?
「どうしても相手にわかってほしい時のことば」を、
若い人たちが、いま、このことを核にして、
探しているところなんだ。
さっきまで不良ごっこをしていた「わるいこ」までが、
捨てばちでないことばで、話し合っているのだ。
そっとしておいてやることくらいは、
手伝ってもいいと思わないかい、
デジタルに偏見のある大人の皆さん。
バイアグラの認可は1年でおりるっていう、
「先進国」日本なんだからさ。
しかし、この「話題」も、すこしづつ風化していって、
いずれ、誰も語らなくなるだろう。
いちばん最後まで憶えていて忘れないのは、
彼や彼女の肉親や、本名の彼らと親しかった友人や、
恋人なのだろうと思う。
彼らはいま、きっと怒ることもできずに、
ことば数を少なくして生きているにちがいない。
ぼくが、知り合いに「自殺したい」と言われたら、
どうするだろうと考えてもみた。
「ばか!」と言うか、「なんで?」と言う。
それくらいしか思いつかなかった。
この「なんで?」の問いに対して、
説得力のある答えなんかが返ってきたら、
ひとたまりもないね、ぼくなんか。
そうか、なるほどなぁって、黙っちゃうだろうな。
善いことか悪いことかは知りませんが、
それくらいしかできないです。
そういえば、
歌舞伎座なんか行くと、
団体のおばちゃんが、「心中もの」に共感して
涙まで流していたりもするんだよなぁ。
これはこれで、日本の現実だ。
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