<「ああ、よかった」という声を聞いた?>
しばらく、ちょっと肩にチカラ入っちゃってる
文章ばっかり続いたような気がするんで、
なんかすっごく屁でもないことを書きますね。
ぼくは、洗濯機を回すのが好きです。
洗濯が好きというわけではありません。
洗濯機は好きです。そして、それを回すのも好き。
いまの洗濯機ってのは、基本的に全部自動ですから、
これが洗濯のすべてというわけですね。
干す、乾燥させることも好きなのですが、
そのためにハンガーにかけてカタチを整えるのは、
好きではありません。
ぱりっと乾燥した洗濯物を眺めるのも、
それを着るのも好きですが、
きれいにたたむのは、好きではありません。
むしろ嫌いなくらいです。めんどうくさいからです。
そうかといって、ぐしゃぐしゃに押入に
放り込んでおくというのも、嫌いなので、
ぼくが洗濯機を回すと、
誰かがその後なんらかの手を加えないかぎりは、
いやいやハンガーにかけられた洗濯物が、
いつまでもいつまでも、とっくに乾いているのに、
ずううっと、そこに在る、という状態になっています。
それでも、うちは、いわゆる共働きの家なので、
洗濯機を回すだけではすまない日々があるわけです。
回し終わったら、干して、たたんで、タンスに収納する。
まともな洗濯の行程をぜんぶひとりでやることも、
ないわけじゃないのです。
意を決してやれば、これはこれでたのしいのですが、
意ってやつが、なかなか決せなくてねぇ。
洗濯を何クールか続けてやっているうちに、
たいてい、「消えた靴下」という事件が起こります。
その事件に気付くのは、
もう片一方のほうの、
「消えなかった靴下」を発見したときです。
ふたつでひとつ。
ふたつで一足、という数え方をされる靴下は、
ひとつだけがあっても、
もうほんとうの靴下ではないのです。
しばらく、もういっぽうの靴下を探してはみるのですが、
すぐに見つかったためしはありません。
ですから、目に見えるほうの靴下の片割れを、
しばらくの間、キープというかたちで
わかりやすい場所に置いておきます。
たいてい、そのまま、
靴下は靴磨きの布切れになってしまいます。
しかし、時には、考えもよらなかったところから、
消えたはずの靴下の片割れが、
ひょいと見つかることがあるのです。
それはうれしいものです。
たいした靴下じゃぁないけれど、うれしいのです。
ぼくは、ずっと目に見えていたほうの靴下の片割れと、
いま発見されたばかりの、もう一方の片割れとを、
重ねてひとつにしてやります。
その瞬間。
ほんとうです。
「ああ、よかった」という声が、
どかからともなく聞こえるのです。
ぼくは、何度か聞きました。
ぜったい、他にも、あの、
ため息のような、ほんとにうれしそうな、
「ああ、よかった」という声を聞いた人はいるはずです。
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