ITOI
ダーリンコラム

<すぐ、じゃないとだめなこと>

ベニサンピットという稽古場と隣り合わせの劇場で、
デヴィット・ルボー演出の「愛の勝利」を観た。
「ほぼ日」の執筆者でもある長谷部浩さんに薦められて、
疲労困憊の状態での観劇だった。
最近、いくつか、
行きたくても行けなかった芝居があったから、
土曜日の夜に劇場に足を運べただけでも、よかった。

夜の9時半頃、ぼくは、「愛の勝利」について、
ぜひこの欄で紹介したいと興奮していた。
頭の中は書きたいことでいっぱいだった。
いっしょに行ったカグチさんに、
とぎれとぎれにたくさんの感想を語った。
3月の14日まで公演は続いているし、
連日満員ということでもなさそうだから、
芝居の好きな「ほぼ日」読者の方々が観に行こうと思えば、
じゅうぶんに間に合うだろう。
月曜日に掲載することが決まっていたこの文章だけれど、
帰宅してすぐに書き始めればよかった。
言いたいことはいくらでもある、と思っていたが、
蓄積疲労で頭痛がしてきて、後回しにしてしまった。
もっと簡単な仕事をして結局朝まで起きていたのに。

翌、日曜日は、モノポリーの日本選手権大会と、
「前田日明の引退試合」が控えていた。
モノポリーのほうは、
挨拶と少しの時間の観戦だけだったが、
早起きが必要だったから、少しでも眠っておきたかった。
前田の試合は、体中の筋肉を硬直させて観戦した。
(このあたりで、ぼくの頭の中の「思い」の分布図が、
すっかり変わってしまったのだろうか)

そして、日曜日の夜、これを書きはじめたのだが、
昨日あんなに書きたかったことが、
ちっとも出てこない。
白い紙にメモ書きをして、何と何をどう書くかを、
しっかりまとめてから書き出せば、
なんとか書けるような気はするのだが、
書きたいという気持ちが消えてしまっている。
あんなに「思い」はあったのに。

・マリヴォーという18世紀の作家の戯曲が、
まるで1999年の作品のように生きていたこと。
・俳優や観客の思考の速度を無視するかのような、
衒学的でスピードのある意味の濃いセリフについて。
・忍び寄ってくる「愛というようなもの」の象徴としての、
大量な「水」の使い方。舞台すべてを濡らす雨!
・外国人演出家の、日本での表現とは何なのだろうという、
とても素朴な疑問と、
「逆グローバル」というコトバの思いつき。
・あの俳優たちが、下半身まるだしで演技したらいいのに、
という失礼なアイディアと、それにともなう個人的意見。
・・・メモなら書き出せるのだが、
でも、どうしてもその気になれない。
とてもおもしろかったというのは確かなのに、
それが、「記憶」でしかなくなっているのだ。
ぼくは学者でも研究者でも批評家でもないのだから、
もっと言えばインテリでもないのだから、
「わくわくした思い」とともに、
文章を書かなくては、ぼくが書く意味がない。

「思い」を、スナップ写真でも撮るように、
すぐさま、手軽に文章になおすことが、大切なのだ。
ためてためて、推敲して、熟成させた表現は、
いまの自分がやることではないような気がするのだ。
もちろん、そっちのやり方を捨てたわけではないけれど、
いま、インターネットでやることは、
どんなに不細工でも稚拙でも、不完全でも、
「思い」のあるうちに、早くテキスト化して、
読者に届けることなんだと思う。
よく、頼み事したときに、
忘れた頃に対応してくれる人がいるけれど、
「すぐ」じゃないとだめなんだってことが、あるでしょ。
素うどんでも、熱いうちに食べたらごちそうだ。

デヴィッド・ルボーさん、
「愛の勝利」出演者のみなさん、スタッフのみなさん、
もうしわけありません。
せめて、ここに案内を掲載しておきます。

◆マリヴォー作『愛の勝利』2月12日〜3月14日
ベニサンピットにて。
料金6000円。
大ざっぱに分類すると、「恋愛劇」です。

土曜の夜に「すぐ」書かなかったのが、
とても悔やまれたので、
その悔やんだことについての文章にしてしまいました。
この気持ちは、まだ、できたてであったかいです。

1999-03-01-MON

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