<インターネットの光と闇とすれっからし>
新聞や雑誌にもよく書いてあるし、
「ほぼ日」にもメールで進言されることなんだけど、
「インターネットはとても便利ですばらしいけれど、
同時におおきな危険をはらんでいる。
光ばかりを強調しないで、もっと闇の部分についても、
しっかりと伝える必要があるのではないか」
という意見がある。
そうか、そうかもしれないな、と思ってもみるが、
なんとなく後回しにしてきてしまった。
自動車はとても便利だけれど、
自分や他人を傷つける可能性もある。
それと同じように、
電話はとても便利だけれど、
脅迫や援助交際に利用されることもある。
レコード(いまはCDですね)は、
音楽を届けてくれるけれど、万引きの原因になる。
どんなものにも、メリットとデメリットがあるし、
「いいことばかりは、ありゃしない」んだと思う。
ちょうどいまは、高校や大学の入試のシーズンだ。
一所懸命に努力してそれが報われて合格しました、
っていう若い人もいるけれど、
その彼が合格したおかげで不合格になった人もいる。
恋愛映画だって、そうさ。
悲しい恋に散る主人公たちがいる。
でも、画面の外側には、
そのヒロインにかなわぬ恋心を抱いていた
モテナイ光線びかびかに放射している男も
いたかもしれない。
おお、話がすっかりそれちゃったけど、
光ばかりの世界なんて、どこにもないってことさ。
そりゃ、オトナなら誰でもわかっていることだ。
そうそう、インターネットの光と闇ね。
まずは、光についてもまだよくわかってない、
というのが現状だと思う。
どこがどういいのか、
普通の人にとって、どう功徳があるのか、
ぜんぜん見えてきてないと思うよ。
これは、ぼくの単なる不勉強
ってだけじゃないだろうと思う。
クルマの発展だって、
「モータリゼーションの時代が来た!」
なんて言ってた頃は、
いまのような社会のカタチは想像できてなかった。
その頃に、「コンビニ」が発達します、なんて
予想した人はいなかったでしょ。
光がぼんやりしている以上、闇もはっきりしない。
なんだかどえらい犯罪の温床みたいな言い方も、
ずいぶん耳にするけれど、
かなりズレてるって気がするものが多い。
特に、個人の危機管理については、
過剰に警戒心をあおるものが多いと思う。
まったくの初心者が注意するべきことは、
たしかにいくつかあるとは思う。
住所や氏名、電話番号を教えることに、
あんまり無警戒になってはいけないだろう。
これは、そのほうがいい、とは思う。
道を歩いている人に、
自分の電話を教えることはないのと同じように、
ネットの上でも不用意にならないほうがいい。
しかし、
*デパートでパンツの裾上げを頼むとき、
*ピザの配達を頼むとき、
*クレジットカードで買い物するとき、
*電話帳に登録するとき、
*子供の学校の名簿に掲載されるとき、
*会社に履歴書を提出するとき、
ぜんぶ、知られてしまうことを忘れてはいけない。
「内部」なら安心で、
「外部」は敵ばかりという考え方は、
少し怪しくなってきていると思うのだ。
疑うなら、まずピザ屋だ!
あ、うそうそ。冗談です。
ある程度は、
「人間は信じられる」という前提がないと、
ぼくらは生きることができなくなってしまうのだ。
もちろん、その信頼を利用するものも、
信頼を裏切ったり、信頼を破壊したいものも、
世の中にはいるだろう。
そのことを無視して、
ただただ無防備でいるわけにはいかないと思う。
だが、その危険に遭遇する確率は、
繁華街で危険にあう確率と、
同じくらいなのではないだろうか。
「ほぼ日」をはじめてから、
ぼくは、かえって人間ってやつを、
信じやすくなっている気がする。
ナイーブ(素朴)であるってことは、
英語では「おめでたい」って
意味をふくんだコトバらしい。
だからってわけじゃないけれど、
ぼくはナイーブじゃないとは思う。いい年だし。
戦略や戦術を考えたりするのも大好きだ。
あえて言えば、
「すれっからし」を経て「信頼」に至る道を、
探してるって感じかもしれない。
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