ITOI
ダーリンコラム

<酔うということ>

このごろ、ここのスペースに書くことが、
まじめになりすぎていると思った。
これは、この頃のぼくのおおきな欠点だ。

反響があったり反応があったりすると、
豚もおだてりゃ木にのぼるのリクツで、
つい、まじめくさって余裕のない文章を書いてしまう。
いや、それ自体はいけないことではないのだけれど、
あらためて「遊びの文」が書きにくくなってしまうのが
困ったモンだと思った。

もっと気張らずに、
落語のまくらみたいに、
「ほぼ日」でなんかしら言い足りない気分があったら、
このスペースに記しておこうと思ってはじめたのに、
「さぁ今週は何を書こう」というような
<編集主幹挨拶 のようになっていた。

しかし、それを反省したところで、
急にわざと遊んだフリするのも不自然なので、
今回もしょうがないからまじめにやってみよう。
いっそ、「まじめ」のことについて書いてやれ。

ぼくは、酒を飲まないせいもあるのだけれど、
「酔う」ということが苦手である。
自分もなかなか酔えないし、
そういう人間だから、
他人の酔いにも厳しい目を向けてしまいやすいのだと思う。
踊り狂っている若者の輪のなかに、
若いときから入っていけなかった。
酔わなくてはできないことを、
酔わずにやってみたいと本気で考えていたような気もする。
こういう人間を指導者にしたら、
きっとよくないことがあるだろうよ。
「酔わずに生きていけ」というようなことを、
言い出す可能性があるということだ。

アルコールもセックスも、
趣味も遊びも、歌もスポーツも、
「なくてもいいじゃないか?!」と、
怖い顔で言われたら反論しにくいものだ。
特に、いまは非常事態なんだと説得されたら、
かなりキツイよ。
でも、たとえ反論しにくくても、
ちゃんと酔える人はがんばったほうがいいぞ。

だいたい、多少でも酔わなかったら、
恋愛なんかできるわけがないし、
「堅実で正しい人生設計のために」
結婚して子供をつくるなんて人間ばっかりだったら、
人間はこんなに増えなかったろう。
酔いという魔法がなかったら、
戯画化された公務員みたいな人間ばっかりが、
生き残ることになってしまうはずだ。
でも、現実にはそんなことにはなっていない。
ちゃーんと、人々は上手に酔って、上手にまじめになって、
毎日を過ごしているのである。

ぼく自身も、他の人たちとおんなじような酔い方は苦手だが
その都度、なにかに酔っているのかもしれない。
「働くことがブームです」なんて言っているのも、
自分の酔い方のひとつなのだろうと考えると、
そう言えばと腑に落ちる。

でもなぁ、人混みの青山通りで、
きつく抱き合ってチューしてる若い人なんか見ると、
「酔うな!」と、つい思っちゃうんだけどね。
ま、酔っぱらいにはついキツイ目を向けちゃうんだよね。
理念としては、
ああいうのも「いいんじゃないですか、ほほほ」って、
言えないといけないんだろうなぁ?
また、あらためて考えてみます。

1999-05-10-MON

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