ITOI
ダーリンコラム

<温度は愛ざんす。>

シャワーを浴びて、からだの清潔を保つことと、
浴槽にからだを沈めて、入浴することは、
ぜんぜんまったく絶対にちがうことだと思う。

皮膚の表面に温水をかけたり、
石鹸で汚れをとろうとしたりするのが、
シャワーを浴びるということなのだろうが、
これを入浴とおなじ意味を持つものだと思ってはいけない。

入浴の場合は、からだと、浴槽内のお湯との間で、
温度の交換がおこなわれる。
ま、浴槽のお湯よりも体温の高い人間
というのもいないだろうから、入浴者は、
一方的にお湯の温度を受けとることになる。

カメとかトカゲとかの変温動物なんかだと、
「熱イコール愛」というくらい、
温度は生きるために必須の条件で、
これが低くなると冬眠するしかないわけだ。

人間は、ほ乳類だから、
そこまで外気温に左右されることはないが、
「あたたかさ」が欠乏していることは多いと思う。
これから冬が近づいて、
ますますからだが冷えてくるみたいだが、
実は、夏も人のからだは冷えているらしい。

あたたかい人、こころがあったかい、あたたかい家・・・
などのように、ほのかに高めの温度というものは、
コトバの表現なかにも、とても価値あるものとしてでてくる。

さて、もうそろそろ、
あったかい風呂に浸かりたくなったんじゃないですか?
過剰に清潔を求めて、毎日まじめにシャワーを浴びるなんて、
つまんないことですよ。
ぬるめの風呂にゆっくり浸かる時間こそが、
いまの、「寒い時代」のぼくらには必要なことだと、
思うんですけどね。
お湯の温度を、からだ全体でじわじわと受け容れるのよ。
自分でも、いま、忙しぶってて、カラスの行水になってるんで、
自分にも言い聞かせてるんですけどね。

なんか、へんな社説みたいな今回のこのページでした。

1998-10-11-SUN

BACK
戻る