<感覚のとりちがえ>
このことは、ぼくの持ちネタみたいなものなので、
いままでも同じようなことを何度も言ってきたし、
これからも、たぶん、 しつこく同じことを言いそうなんだけど。
そういうことがあっても、 意地悪くツッコミを入れないでね。
「感覚のとりちがえ」ということなんだけれど。
たとえば、ホラー映画を観る。
観客は「ああ、怖かった」と感想をのべるんだけれど、
はたして、それは、ほんとうに<怖かった>んだろうか?
あなたも、こんな経験があるでしょう。
映画館にはいる。ホラー映画だ、場面はこんな感じ・・・
・誰もいない暗い屋敷。
主人公は、その暗闇をおそるおそる探るように歩いている。
・小さな物音が、前方に聞こえる。
コトコト・・・「なんだろう」と思うが、これは怖くはない。
・ねずみが顔をだす。なんだねずみか、ホッとする。
・ホッとした瞬間に、最大音量が鳴り響いて、
画面いっぱいにグロテスクな怪物(殺人者とか)が現れる!
これは、誰でもビックリするだろう。ビックリした。
つまり、<驚いた>わけである。
驚いたせいで心臓がどきどきする。息がつまる。
冷や汗もかいているかもしれない。
・あなたは、「ああ、怖かったーっ!」と感じ、そう言う。
でも、実は<怖かった>のではないのだ。
<驚いた>のである。心臓がばくばくするほど驚いたことを、
「心臓がばくばくするほど怖かった」と、
まちがった整理をしてしまうのである。
これが、「感覚のとりちがえ」である。
例を考えればいっぱいあるが、
寒くてカラダの筋肉がかたくなっている感じを、
「緊張してかたくなった」と思いこむことも、そのひとつだし、
いっしょにジェットコースターに乗った恋人が仲良くなるのも、
恐怖のせいでどきどきした生理感覚を、
「となりの異性といっしょにいたせいである」と、無意識が、
まちがった整理をしてしまうからだろうと思う。
恐怖と驚愕はちがう。
痛さと、悲しみはちがう。
前がふくらむことと、愛していることはちがう。
暖かいと、優しいはちがう。
大嫌いな相手が、間違ったことばかり言うともかぎらない。
しかし、そのちがう感覚を、
おなじであるととりちがえてしまうからこそ、
いろんなおもしろいことがあるとも言えるわけで。
|