ITOI
ダーリンコラム

<いつから昔なのか?>

ぼくは、たしか父親が30歳の時にできた子供だった。
だから、父が「いまのぼくの年齢」のときには、
ぼくは、生意気盛りの20歳だったというわけだ。

どこの家でもそうだったのだろうけれど、
親ってものは、昔話をするものだ。
いろいろ昔の話を聞いた覚えがある。
フランク永井という人が歌った「君恋し」という曲が、
リバイバルソングというもののはしりで、
その歌を「何故か知っている」父を妙に尊敬したっけ。

ものが豊かでなかった時代のビンボー話は、
なんだかわけもわからず叱られているようでいやだったが、
戦争の話をするのを聞くのがいちばんいやだった。
なんだか、学校で悪いこととして教わった戦争を、
「ひとつの青春の思いで」のように語っているのが、
嫌悪感になったのだろう。
軍隊時代の戦友に会いに行くというような時には、
どうして行くんだろうと、本気で不思議に感じた。
そんなに大昔の、しかもつらかったことを、
どうして憶えてるんだろうか、とも思っていた。

そんな記憶のなかのぼくが小学生だったとしたら、
父は、30〜40歳くらいだったわけだ。
そういうふうにあらためて考えてみたら、
とてもショッキングなことに気がついた。

35歳の父は、たった15年ほど前の、
まだ生きている記憶を、
「ついこの間のこと」のように
語っていたにちがいないのだ。

このたった15年前の昔を、いまのぼくに置き換えると、
1980年代の中頃のことだ。
よくは憶えていないけれど、ついこの前のことのように、
ぼくはしゃべったり書いたりしているのは確かだ。
なんたって、ピンクレディやイーグルスのほうが、
もっと古いわけだろう?!
「TOKIO」って沢田研二さんの歌を作詞したのが、
1980年だったと思うし、
矢沢永吉の「成りあがり」を取材構成したのは、
そのまた2年ほど前だったと思う。
でも、ぼくの記憶は、まだはっきり生きている。
20年も昔のことでもこうなのだから、
15年前のことを話す当時35歳の父にとっては、
戦争の記憶なんて昨日のことのようにさえ、
思えていたのだろうと、今ごろになって気づいたのだ。

ぼくの小学生だったころの父は、
高度成長とか言われはじめた日本の昭和30年代の繁栄が、
どこか信じられないものだったにちがいない。
ついこの間まで兵隊に行っていて、
帰ってきてたった10年で「世の中変わった」とか、
はやしたてられても、嘘臭いなぁと思っていたのではないか。
ついこの前まで焼け跡だった場所に家が立ち、
ひもじさに苦しんだ腹は食い物で満たされても、
「またもどるかもしれない」という思いで、
素直によろこんでいられなかったのだろう。

読者のあなたにとって、
15年前とはどんなものだったろう?

いまでもよく聴いているビートルズだが、
彼らの音楽が世界に飛び出したのは、35年前のことだ。

1998-12-07-MON

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