<だっちゅうのは、ボケ的ツッコミ>
「だっちゅうの」が、本命不在の流行語界の王座かな?
本命がないというのは、どこの世界でもおなじだけれど、
流行語に本命もへったくれもありゃぁせんが、
「だっちゅうの」が本命視されにくい理由は、
コンセプトがないという理由なんだと思う。
ボケ役が、なにかボケたことを言う。
そこに、それはまちがっている、
「(それは、ほんとうは)〜と言うべきである」
というパターンでコントが構成されているわけだ。
「だっちゅうの」の前の時代には、
ツッコミのセリフとしては、
「〜だって!」があったが、もっとだめ押ししている。
ほんとうに資格ある流行語というものは、
「〜」の部分に意味を持っているものなのだろう。
「〜」の部分がなんであっても、
「だっちゅうの」は、使える。
流行語が絵画だとすると、
「だっちゅうの」は額縁なのである。
これが、本命扱いされない理由なのだ・
「だっちゅうの」には、
『断定の確認』というような意味があるのだろう。
直訳風に言えば、「だ、と言うものなのでであるぞ」、
「〜であるということを教えるぞ、強く」。
つまり常識とか社会的規範とか定義とかを、
ボケ役のほうに「あらためて教え、強調する」わけだ。
そうやって教えないと、わからないからなのである。
断定するべき規範があいまいになっているから、
みんなボケたくてたまらない。
ツッコミのほうだって、ボケのほうだって、
実は、規範や定義を知らないわけではないのだ。
ボケ役は、ボケたいからボケているだけなのだ。
だから、つっこんでいるほうがボケなのである。
断定して強調するような「たしかなこと」など、
ほんとうは成立しないのではないか、と、
人々は思っている。
だから、誰もが断定を避ける。
「なんちゃって」「〜っていうか」
「〜?(半疑問ってやつ)」などなど、
断定しないための工夫に、ことばは苦労している。
「だっちゅうの」を連発している隣人を見たまえ。
みんなボケ役であろう。
こういうことを言っていると、
「あれは、巨乳をむぎゅってするから流行ったんだよ。
理屈いうんじゃないよ」という反論が必ずある。
理屈を言うなと言いたがる人は、
けっこう語調がコワイ。
せっかく人がたのしく遊んでるのにさぁ。
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