ITOI
ダーリンコラム

<ベンチャーズとかエレキ合戦>


若い人たちは絶対に知らないような、
旧くてせこい話題からはじめてみたい。
長いよ!思い出話、入ってるから。

ビートルズというバンドが、
イギリスのリバプールという港町から、
全世界を熱狂させるような存在になったことは、
知っているよね?

彼らはまず、ポップシーンのメインになかった
イギリス音楽市場を席巻し、その勢いをかって
アメリカに「ビートルズ市場」を輸出し、
そして世界市場を生み出した。
彼らの表現の軸は音楽だったけれど、
彼らのファッション、ヘアスタイル、
ライフスタイル、発言、事件・・・
つまり彼らの環境すべてが、ビートルズ市場だったわけだ。

ビートルズがアメリカのヒットチャートで
トップ10の5曲を占めるような大活躍をしている時、
リーダー格のジョン・レノンの年齢は
24〜26歳くらいだったと思う。

ぼくは、こどもからおとなになっていく時期が、
ビートルズの登場から解散までと併行していたので、
彼らからは格別の影響を受けた。

で、ですね、日本の青春たちは、
この流れと、どんなふうに関わったかということです。
これは、なかなかおもしろいんですよ。
いまになって考えるからこそわかるんですけどね。
いろんなビートルズ的なもののうちから、
ある一部分がとりあえず特化したカタチで流行し始めた。

「電気楽器=エレクトリックギター」です。
はじめは電気ギターと呼ばれていたけれど、
そのうちエレキギターと言われるようになったです。

こういう切り口は、反論されるかもしれない。
「エレキブームは、ビートルズじゃなくて、
ベンチャーズのおかげなんだぜ!」というご意見も
きっと出てくると思います。
このへんは、ぼくも知っていて書いているのです。

1.エレクトリックギターを持つ
2.作詞作曲をする
3.世界(国際)的な影響を持つ

の3点を、ビートルズの三大要素としますと、
そのうちの1.の要素が、
ベンチャーズという仮媒体をもって発展した。
そういう認識なのであります。

ビートルズのすべてを、いちどに引き継ぐのは、
当時の日本の青春にとって、難しすぎたということです。

 ついでに言えば、
 2.の作詞作曲をして歌うという要素は、その後の
 フォークソング・ブームに接ぎ木されました。

 そして、エレキギターを持って、
 作詞作曲をして・・・というあたりまでを
 やっとセットにしたのが
 『グループサウンズ』の時代でして、
 その後、3.世界的影響というあたりに、
 YMOの人たちの活躍や、小室哲哉さんたちの意志が
 やり残しとしてあるのだと考えています。

で、主にベンチャーズのコピーバンドを中心に、
日本全国、町から村から山から谷から、
エレキギターの音が響きわたった、と。
ほんとなんだってば、大げさではあるけれど。
とにかく不良という不良、モテたいやつ、
カッコつけたいやつ、音楽好きなやつ。
みんながエレキギターを買って、バンド組んだわけだよ。
・・・俺も含めて、ナ。

ここで重要なのが、
『エレキギターは音楽を演奏するもの』、
ではあるんだけれど、
そういう意味から自由だったっていうことなのだ。
楽器の演奏というのは、
それまで、ヴァイオリンにしてもピアノにしても、
社会的に認められている教育的なものだった。
たて笛やハーモニカも、教材だったし、
管楽器はブラスバンド部でクラブ活動だし、
合唱にしても音楽教育のひとつで、
先生に教わるものだった。
色気づいた中学生や高校生や勤労青年は、
器楽演奏なんてやらないものであったはずだ。
要するに「かったりーよ」というようなものだったはずだ。

ぼく自身も、ブラスバンド部にも合唱部にも、
まったく興味はなかった。
だけど、ビートルたちやベンチャーたちには、
なりたかったのだ。

ぼくのやっていたバンドごっこは、
友だちの家に下宿していた大学生にたまに指導されて、
亀の歩みでベンチャーズの『パイプライン』やら、
ビートルズの『This Boy』やらを練習していた。
しかも、すこしでもギターの練習になったほうがいいと、
高校のマンドリン部ってやつに潜り込んで、
マンドリンのバックで『荒城の月』までやっていた。
先輩に怒られてばっかだったけどね、
「おまえら、動機が不純なんだよ!」とかね。

楽譜が読めたほうがいいとか、
コードを理解したほうがいいとか、
ドミナント、サブドミナント、トニック、なんて
勉強勉強したことを憶えたりしていて、
「やっぱ、基礎的なことって大事なんだよなぁ」とか、
まじめなことを言っていたわけです。

ところが、ぼくらの練習している場所に、
昔ちょっとだけ同級生だったやつで、
いまは半端なワルをやっている知り合いが、
音を聞きつけてふらっとやってきたわけよ。
けっこう、気弱ないいやつなんだけどね、
勉強なんてできねぇできねぇ、
音楽なんて関係ねぇぜって感じのやつだったよ。
そいつが、「オレも、バンドやってんだよ」って。
で、「ちょっと貸して」ってエレキを持って、
弾きはじめたんだけど、明らかにぼくらより弾けるのよ!
ま、『ミッシェル』を『ミッチェル』って歌うような
弱ったね的な間違いはするんだけど、
へたなりにぼくらよりちゃんとバンドの音出すんだよ。

音楽とか、楽器演奏とか、楽譜とか、
なんにも知らなくっても、バンドなんだよ。
「よく知らねぇけどよー、これでいいんだよ」で、
バンドやって遊べるんだよ。
・・・俺たちは、まぬけだ!と思ったね。

もちろん、きちんと音楽理論とかギンギンに学んだり、
高度な演奏の経験を経て、音楽をやる人たちが、
その世界でも強みを発揮するのはたしかだ。
でも、そればっかりじゃない場面から、
『後で必要になったから、勉強もしたよ』っていう
逆の道筋だってあるんだよなぁ。

その後、テレビで『勝ち抜きエレキ合戦』って番組が
はじまって、もう、ほんとにいろんなやつらが
エレキ弾いていたよ。
町から村から山から谷から、番組に出演しに来ていたよ。

で、ね。
高校生なりに、ぼくはその頃、強く思ったのよ。
「基礎ができてない」とか、
「基本的な知識がない」とか、
いろんな場面で、いろんな人々が批判されるけれど、
それって、
「だからダメ」ってことを意味しないんじゃないか?
と、ね。

ぼく自身が、広告界でやっと食えるかなって時期に、
そういうこと言われましたよ、けっこう。
その後も、たくさん耳にしました、
「基礎ができてない」って批判をね。

最近だと、いわゆるベンチャー系の若い起業家とか、
そのフォロアーだとかの人たちが、
かなり強い風当たりを受けているみたいで。
ぼくも、彼らと縁はないんだけれど、
感覚的にはちょっとイヤな感じとか持っているんだけど、
ぜんぶダメだ、ってことはないと思うのよ。
ちょっと勉強したような知識を振り回すとか、
志がせこいとか、言われているのは知っているし、
ほんとにそういうやつがいっぱいいるんだろうけれど、
そこのエネルギーの渦の中からだって、
きっと批判している人間を軽々と追いこすような
押しも押されもしないヒーローが
生まれてくる可能性はあると思う、べきなんだ。

10代20代の青臭くて馬鹿っぽい自分を、
ぼくはよく憶えているので、
若い人々の「くだらなさの他にあるもの」が、
気にかかってしかたがない。

アメリカのIT時代の3要素がなんだかは知らないけれど、
きっとビートルズの日本的展開が、
いくつかの要素のひとつずつの発展だったように、
インターネットの深化も進化も、
カッコ悪く、いかにも日本らしく
根っこを張っていくにちがいないと思っている。

なんとかヴァレーだとか、のベンチャーズの諸君は、
きっとグループサウンズ時代のちょっと手前の、
『勝ち抜きエレキ合戦』の挑戦者たちなんだ。

あ、いまのこには、「イカ天」の例のほうが
わかりやすかったかな?
それももう古いか?

2000-05-22-MON

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