ダーリンコラム |
<飛ぶ鳥を落とす落ち目> 「勢い」というのは、ひとつの情報である。 『この頃はモーニング娘。に勢いあるね』とか、 『いやぁ、モーむすは、もうあそこまででしょ』とか、 よく言われているよねぇ。 上向きのベクトルを持っているいるものは、 勢いがあると言われる。 ヒットチャートでいうと、「→」がこんな風に 水平になったら基本的に勢いがなくなったと判断される。 いまだったら、椎名林檎と浜崎あゆみというあたりが、 「まだ上がる」買い目の存在なのだろう。 株価みたいな見方をされてるわけだね。 高値安定が宇多田ヒカルだとかね、こういう場合は ベクトルが水平でも、「下がっても上位」ということで、 まだまだ買いという判断がなされるわけだ。 しかし、勢いがあるかないかというのは、 ひとつの情報ではあるけれど、価値のすべてではない。 いちばん高い価値というのは、 「なんと名付けていいかわからないけれど、 とにかくすごいんですよーっ!」というようなもので、 これは、勢いあるものにはセットで付いている場合も 多いので話はややこしくなる。 その、長いけどさ、エーと・・・ 「なんと名付けていいかわからないけれど、 とにかくすごいんですよーっ!」を、 人々は、仮に「底力」とか「実力」とか「本物」とかいう 呼び方をしてきたわけだ。 しかし、いまは、その仮に呼ばれる 「実力」というようなものよりも、 「勢い」の価値のほうが高値で取引されている。 これは、どういうことなのだろうか。 まず、実力というものが「位置エネルギー」のように 崇め奉られていた時代が、まずあった。 位置が価値であるような時代だ。 デパートの三越の包装紙に包んであれば喜ばれる、 そういう時代の価値意識だ。 係長より課長が偉い、課長より部長が偉いという 三角形の権力ピラミッドがしっかりしていた時代だ。 ところが、そのあと、 夜の歓楽街で呼び込みが 「社長さん、寄ってってくださいよ」というような、 ピラミッド乱立時代がくると、 社長がぺこぺこする相手が課長だったりするといった、 価値の逆転があっちこっちで起こってくる。 位置(ポジション)を表す言葉では、 価値を表せない時代がきてしまうわけだ。 そういう時に、「いま力のあるものが勝ちじゃ」という <勢い=価値>という考え方がでてきたわけだ。 こういう考え方が、 キンキキッズが北島三郎より価値があるというような、 時代のイデオロギーになっていった。 つまり、「勢い」がいちばんの価値になったのは、 「位置が価値時代」がひっくり返されたからなのだ。 で、さて、「勢いが価値時代」というのは、 つまりいま現在なんだけれど、これが安定しない。 勢いというものは、安定しないからこそ 精神的投資や投機の対象になるのだけれど、 「勢い指数」のようなものを、 どこから取るかを考えているだけで、 死にたくなるほど忙しくなる。 死ぬのはいやだから、とりあえず、 「売り上げ」と「露出」という要素で計りましょうと、 無意識の申し合わせができてくる。 しかし、始末がわるいことに、 「売り上げ」と「露出」という指数は、 数字をかなり操作できてしまうのだ。 売り上げ×露出=勢い(評判) という式は成り立つのだけれど、 レコードで言えば出荷枚数が売り上げだし、 露出のほうも買ったり政治的力関係で増やしたりが 不可能ではないのだ、たぶんね。 いいなぁ、たぶんって言葉。 で、何が言いたいのかっていうと、 「勢い」を価値の軸にする時代というのは、 大量生産大量消費にフィットした考え方なんで、 そろそろ寿命なんじゃないかなぁということなんだ。 「飛ぶ鳥を落とす勢いですねぇ」と寄ってきた人たちは、 飛ぶ鳥を落とせなくなったら、価値を認めなくなる。 こんどは「落ち目だろ」と冷たく言い放つだけだ。 これが、「勢い」をいちばんの価値においた人たちの 考え方だろうと思う。 いや、考えというには、もっと無意識なものだろう。 いろんな「飛ぶ鳥を落としていた人々」が、 「落ち目」という言われ方をして からかいの対象になっている。 それが実力主義の世の中だから仕方がないというのは、 明らかに間違っている。 「勢い」だけに価値をおいた世の中というふうに 言いかえたほうがいいだろう。 しかし、現実には大量生産大量消費型の商品が、 なかなか成立しなくなっている。 化け物のように大量に売れるひとつかふたつの商品と、 コスト割れしそうな無数の商品という図式が、 当たり前になってきている。 こないだ聞いたばかりの話だけれど、 レコード業界全体の売り上げが、 ペットフード市場の約半分なんだという。 そういうトータルには小ぶりの市場で、 化け物のような大きなヒットを当てるための コストはものすごいものになるだろうなぁ。 こういう時代に、全国のライブハウスを お遍路さんのようにめぐって、 3万枚のインデペンデントCDを手売りのようにして 観客に届け続けてきた綾戸智絵さんのチームが、 ぼくには、とても興味深く見える。 デビューから3年目になる今年の夏、 いよいよ2万人規模のコンサートをやることになった。 売り上げ×露出=勢い(評判)という価値観に しばられたままの音楽業界とは別の道が、 ひょっとしたらあるのではないかと、 時代の変わり目を感じさせてくれるような冒険が、 もしかすると花を咲かせ実を結ぶかもしれない。 ただ、こんなことが可能になった理由は、 わかりきったことだけれど、 「なんと名付けていいかわからないけれど、 とにかくすごいんですよーっ!」という 価値の芯になる部分を、彼女が 明確に持っていたということだ。 ぼくがいろんな企画をする時の基準がひとつある。 「その力以下の評価をされてるものを探せ」 力がなくてもダメだし、 力に相応しいあるいは力以上の評価を受けているものは、 企画になりにくい。 力ってのは、しつこいようだけど、 「なんと名付けていいかわからないけれど、 とにかくすごいんですよーっ!」ってなものだ。 え?そんな曖昧な言い方はダメだって? 知るかよ、自分なりに考えてみてくれよ。 もっとキチンとした言葉になるようなら、 とっくにしているよー。 んじゃ、またねー。 |
2000-06-05-MON
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