ITOI
ダーリンコラム

<ほめるということはお礼なんだなぁ>

ぼくが異常と思われるほどむやみに推薦しているシンガー
「綾戸智絵」さんの掲示板に、
こんな内容の文を書き込んだ。
そのままペーストするのも芸がないので、
あらためて内容をふくらませて、ここに書いてみよう。


◆突然気が付いたんだけれど、
綾戸さんは、ステージのMCのなかで、
『いいんでしょうか?』という言葉をよく使う。
おそらく天に向かって尋ねているのである。
神さまに、と言ってもいいかもしれない。

とても演奏がうまくいったとき、
3枚目のCDがでるという報告をするとき、
お客さんからいっぱいの拍手をもらったとき、
いろんな場面で、この言葉を、
彼女は歌うように発してきた。

いまの、いま現在の彼女の、
よろこび、謙遜、感謝、軽い不安、
そういったものが、ぜんぶ、
この『いいんでしょうか?』のなかにこめられている。

この綾戸智絵の『いいんでしょうか?』は、
CDジャケットの帯だけに使われるのでは
もったいないくらいのスーパーフレーズだと思う。


こんなふうなことを書いた。
書きたくて、伝えたくてしかたがなかったからだ。
ぼく自身は、綾戸さんのように歌えないし、
彼女からたくさんの何かをもらっている。
その借りを、少しでも返したいという思いがあるのだろう。

そういうことは、たくさんある。
あらゆる表現には、「ちから」が含まれている。
その力を、ぼくらは受け取っている。
時には、その「ちから」に支払った以上のものを、
表現者から受け取っていることも多いものだ。
そんなときの「チップ」が、
手が痛くなるほどの拍手だったり、
ともだちにすすめることだったり、
ほめることだったり、するわけだ。

ぼくが、いろんな人の表現をよくほめるのは、
「ぼくのお礼」なんだ、ということが、
いまさらながら、よくわかった。
知り合いの掲示板の、会ったことのない人の書き込みや、
毎日いただくメールや、
とっくに死んでしまった作家の文章や、
いろんな「表現」に、ぼくは借りをつくっている。
文章の拍手を送れる場合は、できるだけ送るけれど、
ありがとう、とか、いいなぁ、の気分が、
そのまま空中に消えてしまうこともたくさんある。
そういう場合のお礼は、
自分が誰かにたくさんのオマケをあげて、
「お礼は天下の回りもの」状態を生みだすしかない。

思えば、綾戸さんの「いいんでしょうか?」も、
神さまにむかっての、
「いただきすぎじゃないんでしょうか?」という
うれしいお礼の言葉のひとつだったんだなぁ。

急に殊勝なことを言うようですが、
読者の皆さん、いつも読んでくれて、
ときにはチップのお言葉もくださって、
ほんとうにありがとうございます。
それがなかったら、ぼくはもうとっくに負けてます。

ここでやめておけばいいのに、ちょっと広告をいれて、
だいなしにしますね(恐縮です)。
___________________
「金のガツガツ大作戦」への協力を、
ぜひともよろしくお願いします。
長い目でオマケもたくさんつけますから。
___________________

1999-06-07-MON

BACK
戻る