<ウソばっかり教える学校>
「ウソばっかり教える学校」というのがあったら、
行ってみたいなぁと思う。
とにかく、ウソばっかりなのよ。
教科書も、試験も、講義も、
ウソばっかりなんですよ。
たまにそこにホントが混じっちゃうと、
生徒が「気が付く」わけ。
「先生、いまのはホントじゃないでしょうか?」
「ああ、よく気が付いたね吉田くん」
こういう時に憶えたホントっていうのは、
こころに刻まれるだろうし、
きちんと考えたくなるのではないだろうか。
生徒も、「ウソ」を承知で入学してくるのだから、
先生もどんなにデタラメなことを言ってもかまわないが、
おそらく、その学校では、
質の高いウソをつく先生の講義が人気になるだろう。
ウソをつくのはセンスが要る。
演技や想像力が磨かれることだろう。
ウソは、時には人間を危険な目にあわせることもあるから、
生徒も気を付けてないと、どえらいことになる。
「毒蛇に噛まれたときの、救急処置は、
蛇に噛まれたら噛み返せばいいのです」
というようなウソを本気にしたら、
実際に毒蛇に噛まれるようなことがあったとき、
命を失うことにだってなりかねない。
では、生徒はほんの一部分に混じる真実を捨ててでも、
先生のコトバを耳に入れなければいいではないのか?
そう考える人もいるだろう。
いやいや、そうじゃない。
生徒は、その「ウソつきの芸」をたのしむようになるのだ。
しかも、試験用に暗記したりする必要はないのだから、
忘れてしまってもかまわないわけだ。
それでも、
「あんまりおもしろいから憶えておきたい」という生徒は、
ノートをとったり暗記したりして、憶えればいいのだ。
ここで、「こころから学ぶ」ということを学べる。
みんながみんな、たいして違わないような、
「ホントらしいもの」「ホントらしさ」を信じていて、
ホントやウソの区別なんてどうでもいいと思っているなら、
この学校は誰も入学する者はいないだろう。
でも、そんなことで我慢できない気持ちを、
たいていの人は持ち合わせているはずだと、
ぼくは思っているのだ。
でも、現実の学校も、会社も、お役所も、
「反対の少ないホントらしさ」を最上のコンセプトにして
機能しているように思える。
「ホントしか教えない学校」ということにしてある学校で、
「ホントらしきもの」を、「ホント」と決めて、
むりやり憶えたかどうかを試験して問い、
生徒の優劣を決定してしまう。
だから、ホントのホント、を知りたい場合や、
ウソのおもしろさを知りたい時には、
学校を(社会を?)出なくてはならなくなるはずだ。
ホントらしさが、あいまいになってきて、
ウソを磨く人も減少してきて、
つまらない「ホントらしさ」ばかりが増えていく。
・・・ただねぇ、こんな学校はつくれないんだと思うよ。
こんなに手間がかかって能力が厳しく問われる先生に、
誰がなるんだってことだよね。
でも、ホントは、先生だけじゃなく
どんな職業でも、これくらいに
手間も能力も必要なはずだってことなんだろうねぇ。
コワイね。
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