ITOI
ダーリンコラム

<スローフードって考え方>


まったくいままで仕事で縁のなかった企業なんだけれど、
カゴメという食品会社のキャンペーンが、
ずっと気になっていた。
『スローフードにかえろう』
とかいうキャッチフレーズだった。
正確に書こうと思って、サイトを訪問したのだけれど、
もうそのキャンペーンは終了していたのか、
そのコピーは見つからなかった。

唐突に『スローフードにかえろう』と言われても、
なんのこっちゃ、と理解しにくいから、
宣伝広告としては、失敗
ということになってしまったのかもしれない。
正直に言って、ぼくも、それを新聞広告で読んだとき、
「なーに、カッコつけてるんだか」と、
申し訳ないけれど、苦笑したくらいだ。
だいたい、スローフードってものがなんなんだか、
全然わからないのだった。

で、そんなことさえ忘れた頃、だった。
毎週土曜日に、ぼくが鼠穴からネット中継で
ゲスト参加している「ウオッ!チャ」
という番組を視聴者として観ていたら、
「スローフード」について特集をしていた。
観ていたら、おもしろい。
スローフードというのは、
「ファーストフード」の反対語だったのだ。
速くできて、速く食べられるファーストフードに
なんだか満足できなかったぼくには、
とても興味深いコンセプトだった。

さらに、スローフード協会というものもあるという。
どうやら、もともとは、10年ほど前に
イタリアで始まった運動らしく、
1.伝統的な食材や料理、質のよい食品や酒を守る。
2.質のよい素材を提供する小生産者を守る。
3.こどもたちを含め、消費者に味の教育をすすめる。
などの活動指針があるという。
ネットで調べてみたら、
日本スローフード協会という組織もあるらしく、
なんとその協会のTシャツの絵柄は、
「おひつで湯気をたてている炊き立てのごはん」だ。

こうやって知って、やっと、
あの広告の示しているものがわかった。
いいコンセプトだったんだなぁ、あれって。
ちょっとわかりにくかったんだな、と。

個人的にぼくは、
協会の会員になるわけじゃないけれど、
まことに「スローフード」好きな人間である。
ファーストフードは、たしかに安くて便利だけれど、
「豊かさ」というものがまったくない。
いい意味での不揃いな部分、
おいしさの無段変則的に高くなっていく階層、
食事から想像されるさまざまな物語・・・
あじの干物にあってハンバーガーにないものは、
なによりも人間の文化の歴史だ。
うおーっ、食い物の話になると強気になるワタシを許せ。

「腹がいっぱいになって、栄養が足りていて、
安価で、まずくなく、速く食べられる」という意味で、
ファーストフードは、無敵のように思える。
未来の食事はひょっとすると、
すべてファーストフードになっていく可能性だってある。
これが大衆化というものじゃ、
これが民主主義というものじゃ、というような
演説だってできるだろう。本気で、な。

だけど、それって、ちがうんだよなぁ。
平準化しきれない食べるたのしみってものがあるのよ。
ぼくらは栄養を摂取してるんじゃなくて、
「ごはんを食べている」んだ。

「スローフード」というコンセプトは、
現在のカサカサした実用一辺倒の世界に、
「そういうもんじゃねぇべ」と異議を申し立てている。
いや、異議を申し立てているっていう言い方は、
スローフードっぽくないなぁ。
「そういうのばっかりで満足か?」って、
もうひとつ別の道を指し示すって感じかなぁ。

食べ物に、「スローフード」という考え方があるように、
他のさまざまな事柄に、
「スロー○○」という考えが成り立つように思うよねぇ。
取れたてのうまいキャベツを、
バリバリっと食べたときの「うめぇ!」って感じは、
いろんなシーンであるんじゃないかね。
「スロービジネス」とか、さ。
「スローラブ」とかさ、「スロースクール」とか、
「スローフレンドシップ」とか、あるよなぁ。

いま、スピードの時代じゃ!っていうのも、
それはそれでホントなんだけれど、
それと同時に「スロー」という
手間ひまかかるしコストの高いことが、
単なる「速さ」に勝つようになるんじゃないのかねぇ。

こんな暮らししている俺に、それを言う資格はあるか?!
いや!こんな暮らししているからこそ、
「スロー」への渇きがリアルにわかるのよ。

2000-06-19-MON

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