ITOI
ダーリンコラム

<波乗りにいちゃんの話題>

さんざんお問い合わせもあったけれど、
「波乗りにいちゃんの休憩所」のページは、
過去の分も含めてすべて削除しました。
いつか、ある晴れた日に、
また彼がやってくるということも、
あるかもしれませんが、
その日がいつになるのかについて、
またお問い合わせなんかが殺到しないように、
祈るばかりです。

あのページについて、説明というか、
いろいろあったことの顛末を、ここに書いておきます。
大人の「波乗りにいちゃんファン」の方は、
ぜひ興奮症の方々に、「ここを読んでみれば?」と、
お伝えくださいませ。

波乗りにいちゃんが、Qくんであることは、
わざわざ正体はどうのこうのと言わなくたって、
誰もがわかっていたことでしょう。
わかっていながら、知らないふりをする遊びが、
「ほぼ日」ではできるのではないかと思っていたのですが、
残念ながら、それは難しくなってしまったようです。
たとえば、こんなふうに書いても、

『KくんでなくQくんと書いてあるのを読んで、
ショックを受けました。
いままで、ワタシはKくんだと信じて、
波乗りにいちゃんを応援してきたのですが。
Qくんとは誰なんでしょう??』
というような、
素晴らしいメールが飛び込んでくるんです、きっと。
ZくんでもHくんでも、同じなんだよ!! と、
ぼくも心静かでいられなくなっちゃうので、
とにかく、波乗りにいちゃん関係の質問は、
もう1通も出さないでください。
怒っているんじゃないんです。
せつなくなっちゃうだけです。
大人のQくんファンの方々には、
一緒くたにしているみたいで本当に申し訳ないのですが、
ぼくも彼のファンのひとりなんで、それに免じて、
失礼な物言いをご容赦ください。

もともと、「ほぼ日」の発刊を決めたころから、
Qくんの連載かインタビューかをやってみたいなぁと、
考えていたものです。
彼は、20歳そこそこの時から、
「プロデュース感覚」のある、いやもっと言えば、
「裏方のカン」を持っているし、
それを楽しいと考える人だったので、
ぼくとしては、クリエーター志望の
同じくらいの年齢の若者と話すより、
ずっとおもしろいと思っていました。
彼には、
「僕がぜひ出演してみたい映画の話」というタイトルで、
いままでQくんが観てきた映画の話や、
どういう生き方をしたくて、どういうものを作りたいのか
について語って欲しかったわけです。
ただ、所属事務所があって、
的確なマネジメントによっていまのステイタスを築いてきた
タレントのひとりではありますから、
「いつか、いいタイミングで」、
その取材の申し込みをしようと、
かなりゆとりをもった予定として考えていました。

そういうこととは関係なく、
ある日、Qくんが、ふらっと遊びに来ました。
前の事務所の時には、よく、他のスタッフのぶんまで
ハンバーガーかなんかを買ってやってきていましたが、
新しい鼠穴の事務所に来るのは初めてでした。
仔犬の頃に、短い期間里親を引き受けていた愛犬も、
すっかり大きくなり、
なつかしくいろんなことを話しました。
ずいぶん前に、ネットのおもしろさを彼に語ったことのある
ぼくには、Qくんがメールを始めて、
しかも、おもしろがっているということが、
なによりの大ニュースでした。
しかし、前々から企画していた
「僕がぜひ出演してみたい映画」というタイトルの
インタビューに誘うには、まだ時期尚早だと考え、
その話は切り出しませんでした。

めしを食いに出て、また戻ってきて、
「ほぼ日」の話になりました。
彼には、仲間が集まって楽しそうにパーティーを
やっているように思えたのかもしれません。
「ペンネームで、なんか書いてみる?」と、
言ったときには、QくんがQであることを離れて、
何を書いたらおもしろいだろうと、
ぼくは考えはじめていました。
「え。いいの?」と彼が言ったので、
これはおもしれえやと、
本気で中味を考えることにしました。

Qくんは、いま、なにをしてもワーだのキャーだの
言われるような、とんでもないものになっています。
しかし、「Qだから」といってなんでもよろこぶ人ばかりが
この世の中にいるわけではありません。
Qくんだからなんでもうれしい、という人
以外の読者に向けて、
何が通じて何が通じないのかを、
いままでやってこなかった
「テキスト」で挑戦するというのは、
ある意味で彼にとっても冒険であると言えます。
でも、だからこそ、やってみたいと思うのが、
Qくんのいいところで、
とにかく、第1回目の原稿は、
その場でもう書きはじめました。
文章のエクササイズでもあるし、
できるだけ書きやすいテーマで書いた方がいいと思い、
「波乗りにいちゃんの休憩所」というタイトルも、
その時に考えました。
彼の原稿のなかに、いくつか筆者がQであることを
匂わせるような言葉もありましたが、
気が付いた人がそれをシャレとしておもしろがってくれれば
いいやと思って、そのままにしました。
だったら、「どうもQじゃないか?」と思う人に向けて、
写真も撮って載せようとしました。
Qくんの写真は、さまざまなサイトでも見られますが、
たいていは肖像権の問題とかがあるらしく、
目に斜線が入った写真が使われているので、
ぼくらもそれにならって、
「使いものにならない写真」を載せることにしました。

彼は責任感の強い人で、
さらには、大好きな波乗りのことが書けるという
よろこびもあったせいか、
新しいメディアでのコミュニケーションが
おもしろかったのか、
律儀に毎週必ず原稿のメールを送ってくれました。
内容については、正直に言って、
「まだまだ」だったと思います。
やっぱり、なんでもよろこぶファンに向けての
コミュニケーションに慣れすぎているために、
「単なる読者」の興味を惹きつけるところまでは、
まだ来ていないように、ぼくには思えました。
エクササイズはこれから、だったのです。
Qであろうがなかろうが、
おもしろいものはおもしろいし、
つまらないものはつまらない。
ただ、彼の毎日の生活や、そこで感じたことは、
話を聞いていても魅力的なことがたくさんあるのは
わかっていましたから、
それをテキストにする練習ができれば、
「波乗りにいちゃん」のページは、
どんどんおもしろくなっていったはずでした。
自分で文章を書くということについて、
まだ、慣れてなかったので、
一般の読者が何をおもしろがるのかを、
これからつかんでいくところだったのです。
ちょうど、そのあたりのことについて、
メールのやりとりをしたところでもあったのです。

テレビの番組で、波乗りにいちゃんのことが
とりあげられたというニュースは、
読者からのメールで知りました。
おなじニュースは、Qくんの事務所でも
知ることになりました。
ちょうど、Qくんの事務所でも、
インターネットについての取り組み方を、
あらたに模索しようとしていた最中だったらしく、
Qくんの「ほぼ日」参加が、
フライングに思えたのかもしれません。
いままで、「ほぼ日」には、
いわゆる有名人という人が多く登場していますし、
写真の掲載も本人の「いいよ」という言葉だけで
やってきていましたので、
同じように考えて、Qくんの原稿も写真(変装版)も、
掲載してきましたが、
事務所の方針がでていない状態で、
いまのままの連載を続けるのは、
のちのち問題があるかもしれないという判断で、
写真を取り去ることにしました。
同時に、連載も、
しばらく見合わせるということに、決めました。
これは、つまり、
タレントの営業方針に関わることで、
それはそれぞれの事務所の方針が優先されると
考えたからです。
自分が、プロダクションの指揮者なら、
もっとちがうことを考えたかもしれませんが、
「やめたほうがいい」という考えも、よく理解できました。

これからおもしろくなるところで、
残念だと言う気持ちはありましたが、
波乗りにいちゃんさえ出ていればなんでもうれしい、
というような黄色い声の読者に、
どういう対応をしていいいかが、
ぼくらもわからないまま悩んでいたところだったので、
連載を中止することは、
精神的にはラクになるようなことでもあったのです。

というわけで、波乗りにいちゃんは、
「アイル ビー バック」という言葉を残して、
遙か波の彼方に消えていったわけですが、
時代の流れ、事務所の方針があらためて検討されることで、
本当に、公式に、彼Qくんが戻ってくる可能性は、
あるのだと信じています。
彼が、どういう人間に育っていくのかは、
本人とそのプロデュースをしている事務所が、
真剣に考えていくことですから、
ぼくらは無責任な口出しはできません。

ま、こういう状況のなかで、
写真週刊誌Pの「ほぼ日」への取材依頼がきたわけです。
そのことについては、
このダーリンコラムでも書きましたが、
取材意図があきらかでないままに、
気軽にコメントすると、別の文脈で、
別の目的で記事にされてしまうこともありますので、
取材には直接に答えずに、
ここに質問への回答を記しておいたわけです。
「ほぼ日」のことが知りたいのなら、
回答をこのページに書いておけば、
当然読んでくれると思ったので、
あえて、ここに書いたのですが、
その後、「お返事はまだですか」というような
お問い合わせがその編集部からあったので、
ああ、読んでないんだなぁ、と知ってしまったのです。
ちょっと、がっかりはしました。
ぼくは、前にも書いたのですが、
その雑誌に対して、特別な感情を持って接するつもりは、
ありませんでした。
ただ、「ほぼ日」が読まれていないままで、
「ほぼ日」の取材をするというのは、
なんかヘンだな、とは思いました。
で、結局、Qくんは自宅前で、
まるで「事件」のように写真を撮られ、
雑誌は発売されました。
このことがわかった時点で、
「波乗りにいちゃんの休憩所」は、
アーカイブからも削除され、「ほぼ日」から消えました。
これ以上の騒ぎは、誰のためにもならないからです。

Qくんから、ご迷惑をかけましたというメールを、
もらいましたが、
ホントは、誰のせいでもなかったのではないかと、
ぼくは、考えているのです。
むろん、ぼくのせいだとも言いません。
けっこう責められたんですが、
冗談じゃない!と思っています。
さらに、最初に報道した
テレビ番組をうらむのも筋違いだし、
事務所が固すぎるというのもおせっかいですし、
写真週刊誌を憎むことも見当はずれのように思います。
「悪」を単純に「なにか」であると決めて、
それのせいにするのは、子供っぽいし、
なんにも前に進まないと、大人は知っているはずです。
こういうこともあり得る時代なんだと、
ぼくは思っています。
それに、アイドルって、偶像という意味ですからね。
「偶像崇拝」は、それにともなった
さまざまな問題を引き起こすものですよ。わはは。

ぼくは、「ほぼ日」以外のサイトでは、
宇多田ヒカルさんの日記が掲載されている
HPの大ファンです。
彼女は、ほんとのことを、
素直に、のびのびと、書いています。
あんなふうに、Qくんの原稿が書けたり読めたりするなら、
別に媒体は「ほぼ日」でなくたってかまわないのです。
でも、そういうことが、とてもやりやすい場だからこそ、
いろんな方々が筆者として「ほぼ日」という場に
集ってくれているのだという自負もあります。

いつか、そのうち、
Qくんの、もっともっとおもしろい企画を、
(他のコンテンツもたのしみにしてくれる)「ほぼ日」の
読者に向けて発表できる日を、たのしみにしています。
Qくんをきっかけにして、
「ほぼ日」を読むようになったという読者の方々は、
ほんとに運がよかったですね(笑)。

最後に、難儀なことに巻き込まれた、
Qくんの事務所のRさん(むろん仮名)、
アホファンと一緒にされてしまって気分を悪くした
「理性的なQくんファン」の皆さん、
ご迷惑をおかけしてもうしわけありませんでした。
もう、この話は、このへんでやめましょう。

Qくん、また、会いましょう。
ぼくは、まだまだ、
「ほぼ」じゃなく、完全日刊でやっているので、
いつでも東京にいます。

1999-06-21-MON

BACK
戻る