<菊池寛って、すごい。>
知らないんですよ、ほんとは、なんにも、菊池寛のこと。
でもね、ちょっとだけ聞いたことがあったんですよ。
「菊池寛が、文藝春秋を創刊したのは、
文学者たちがメシを食えるための場を
つくるという目的もあったんだ」ということを。
そうだよなぁ、まだ、きっとその当時は、
「文学」をやろうなんて人たちの、
社会的に生きていく場なんかなかったんだろうなぁ。
いっぽうで、いわゆる講談本というか、
大衆文学のほうは、仕事として成立していたのかな。
自分自身が流行作家ではあったらしいから。
とにかく、よく知らなかったわけだ。
日本文学史を学んでいる人たちには常識なんだろうけど、
ぼくらが、普通に習ったり知ったりすることは、
文学の主役である「作家たち」の歴史ばかりで、
その主人公たちの活躍の「場をつくる」人については、
案外、知らないもののようだ。
プロデューサーが大事だと、
みんなが考えるようになったのは、
どうも、最近のことらしい。
いや、まだ、プロデューサーの重要については、
世間の理解は得られていない状況なのかもしれない。
菊池寛の話を聞いたのは、
ちょうどぼくが「ほぼ日」をはじめる頃だったので、
彼のメディアのとらえ方に強い興味を持った。
おそらく、いまでは大家と言われているような、
小林秀雄(故人のほうね)とか、川端康成だって、
「文藝春秋」という、当時のヘンなメディアがなかったら、
大学教授で給料をもらいながら、作家活動をするか、
困窮しつつ作品を発表し続けるか、
まったく作家であることをやめてしまうか、
どれかの選択肢を選ばざるを得なかったのではないか。
もうちょっと菊池寛のことが知りたいと思いつつ、
月日は過ぎていった。
文藝春秋の人が、「菊池寛の仕事」という本を、
せっかくくださったのに、
緊急課題でないせいで、なかなか読み始めなかった。
そして、先週、ふと、ぱらぱらっとめくったら、
菊池寛による、文藝春秋創刊号の、
「編集後記」が目に飛び込んできた。
すごい! これ、ぼくらが、自分の頭をあちこちに
ぶつけながら考えてきたことの結論が、
もうすでにここにあった。
そんな思いで、読んだ。
引用は面倒だからしない方針のぼくだけど、
これは、ぜひ、記させていただく。
タイピング面倒だけど、やります。
(『菊池寛の仕事』井上ひさし・こまつ座[編・著]
ネスコ/文藝春秋・刊 1800円---より)
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◆もとより、気まぐれに出した雑誌だから、何等の定見もない。
原稿が、集まらなくなったら、来月にも廃すかも知れない。また、
雑誌も売れ景気もよかったら、拡大して、創作も載せ、
堂々たる文芸雑誌にするかも知れない。
去年あたり、いろいろな人々から悪口を云われても、
大抵は黙っていた。平生書き付けない文芸欄などへ、
飛び出して行って、喧嘩をするのは大人気ないと思ったから。
が、今年からは、自分に対する非難攻撃には、せいぜい、
この雑誌で答えたいと思う。
この雑誌に、書いてくださる人に一言する。
原稿料は、原則として払う。
殊に、文筆丈で喰っている人には、屹度払う。
が、金額支払の時は、一任されたい。
また、その月に依って高低もあるから、
そのつもりでいて貰いたい。投稿も取る。
無名の人でも、言説が面白ければ採る。
が、取捨選択は、絶対に編集者に任して貰いたい。
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これは、大正12年に、3000部で発行された
文藝春秋創刊号の編集後記である。
本文は、たったの28ページ。
「中央公論」が1円、「新潮」80銭の時代に、
10銭で売り出したのだという。
メディア評論家も、なにもいない時代に、
この決断をした菊池寛という人は、
やっぱり、すごい。
現代って、やっぱり、世の中全体が、
「びびってる」って感じがするんだよねぇ。
こんなこと書いてから言うのも話が逆だけど、
もっと菊池寛のことが知りたくなった。
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