ダーリンコラム |
<見えない価値基準のゲーム> まず、イージーな寓話をひとつ。 コンコンコンと、三回軽くノックをして、 M氏は、ドアを開けた。 礼儀正しく、 深々という印象にならぬ程度の角度でお辞儀をし、 「失礼します」と指定の椅子に腰をおろした。 面接の準備は万全だった。 ありとあらゆる想定問題を完璧に暗記し、 その答えについても研究をかさね、 不自然にならぬような話し方と、 薬味ていどに添えた笑顔で、 面接官たちの質問に答えていた。 M氏の面接は、万全な準備をさらに上回る出来だった。 少なくとも彼自身は、そう判断していた。 冷静な人間だったから、 希望的な甘い自己採点をしたわけでなかったが、 満点としか言いようのない面接試験だったと思った。 そして、 数日後、彼は不採用の通知をもらった。 読者諸兄は、彼の不採用の理由について 推理してみてください。 1.M氏の完璧ぶりが、「これ以上の器にならない」と 判断されてしまったから。 2.M氏の態度が自信過剰と受け取られ、 心証を悪くしてしまったから。 3.ノックをする回数が、3回では少なすぎたから。 ここでは、ノックの回数の多い人から順に採用するから。 4.面接官に賄賂を持って行かなかったから。 5.Mの頭文字の人は、落とすことに抽選で決まったから。 6.M氏が全裸で面接に臨んだから。 さて、答えですが、皆さんはどれだと思いますか? 実は、これまでの文のなかには、 どれが正解であるかを決める根拠は「ない」のです。 ・6「全裸」は一般的には落ちる可能性が高いでしょうが、 ここが、「全裸ミュージカル」の面接会場で、 彼以外のプレゼンテーションも、すべて全裸で 行われていたかもしれないではありませんか。 ・1「器の限界」や、2「自信過剰な性格」というのも、 世間の一般的な常識は、こうだろうという、 暗黙のルールに照らし合わせて考えると、 可能性はありますが、それが、この面接で問題にされたか どうかはわかりません。 ・4「賄賂」ですが、ありえないとは言えないでしょう。 おそらく賄賂の通用する国や地方、共同体では、 こういうことだってあるでしょうが、 この文から判断はできません。 ・5「抽選」というのも、あってもおかしくないですが、 やはり、この文から判断できないでしょう。 そうすると、ここでは、読者のみなさんは、 ルールのわからないゲームに参加して、 まったく正解を出す根拠もない状態のままで、 答えさせられたということになります。 腹が立ったでありましょうか。許してくれー。 しかし、あらゆる試験や面接は、 そういう本質を持っているのではないでしょうか。 もちろん、企業の入社試験などだったら、 これから同じ会社でいっしょに仕事していく人間を 選ぶわけですから、学力や常識を持った人のほうが、 「選ばれやすいルール」になっているでしょう。 でも、それだけとは、本当は限らないでしょうね。 一般常識の問題がよくできたり、知識があったりしても、 不採用になる場合だって、きっとたくさんあるでしょう。 だから、どの会社ではどういう人が採用されやすいか、を、 みんなが研究して試験に臨むことになります。 あらかじめは知らされてない「ルール」を、 明らかに確実にしていくわけですよね。 おそらく、そうやって研究したところで、 「ノックの回数の多い人を採用」なんていう 意外性の高いルールは発見しきれないことでしょう。 しかし、ですよ。 採用する側はそういうルールをつくってもいい、わけです。 法律がどうなっているか知りませんけどね。 で、さらに考えると、 あらゆるコミュニケーションっていうのは、 伝えたい側が、伝えられる側の持っている 「暗黙のルール」を探りながら成立しているってことです。 よく、だだをこねてる子供に、 「なにがほしいの? どうしたの? 言わなきゃわかんないじゃないの」なんて言ってますが、 あれと同じなんですよね、あらゆる交通ってのは。 恋愛だってそうじゃないですか。 赤いバラを1万本贈って、 「こういう人って大嫌い」とか言われたりする人もいる。 バラ1本ならよかったのかもしれないし、 ドクダミの花ならおおよろこびだったかもしれない。 すべてルールは、相手側が決めるわけだよね。 賞なんかでもそうですよ、きっと。 「この賞を与えるにあたっての基準一覧表」なんていう マニュアルを、あらかじめ渡されるわけじゃない。 だから、何回応募しても、 どこが悪かったのかわからなければ、 なんどでも落選しちゃうわけです。 だけど、ほかの似たように見える賞に応募したら 一等賞になるかもしれないしねぇ。 とにかく、むつかしいのは、 判断の基準を、すべて相手が持っているということ。 ぼくらの仕事の広告のプレゼンテーションだって、 「担当部長がどのタレントを嫌いか」なんてことを チェックする役割の人とかいる時あるもんなぁ。 そんなの、知らなきゃ提案しちゃうよ、そのタレント。 こういうコミュニケーションの地獄に耐えられないから、 みんなが、できるだけ共通の「ランク」や「マニュアル」を つくって、安心をしたがるわけでさぁね。昨今は。 選びようがないから、「この1番目のやつね」とか、 「100万人以上がおもしろいといった番組です」とか、 だれでもわかるルールで世の中を動かそうとするわけさ。 そうなると、また、なんでも似たものになっちゃって、 おもしろくなくなってくるんだなぁ。 たしかにね、相手がどんなルールを持っているかを 推理し続けるってのは、苦しいものなんですよね。 それが、自分のルールとちがっていたらなおさらね。 「大衆」という相手だったら、 個人じゃなくて「集合」だしね。 お問い合わせをしてみたって、なかなか 無意識のルールについて答えちゃくれないし。 だからといって、いっそ、と、数字に走るのは、 ちがうんでないかい? ほんとに素敵なのは、 「君は、僕を好きになる。ならなかったら、あきらめる」 っていう自信と提案と覚悟だと思うんだよね。 野田秀樹にあるのは、そのへんのことだと思うのですよ。 それをクリエイティブと呼ぶんじゃないかなぁ。 相手の顔色調査をし続けていても、だめなんだ。 それは、ほんとは奴隷の態度なんだ。 「惚れさせなきゃ、君は自由になれない」んだ。 誰に言ってるんだ? 自分にも、だよ、もちろん。 |
1999-11-15-MON
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