ITOI
ダーリンコラム

<消える肩書き>

羅宇屋という商売を知っている人は、
あんがい少ないのではないだろうか。
煙管(キセル)の両端にある金属をつなぐ竹の部分を、
「羅宇(らお)」というのだけれど、
それは古くなると使えなくなるので、
新しいものと交換する。
その羅宇の交換をする職業の人々が羅宇屋だ。

めずらしく蘊蓄めいたことを書いたけれど、
このことをぼくは勉強して知ったのではない。
ほんとうに羅宇屋がいたのを見ているし、
「らお〜〜〜」という物売りの呼び声も聞いたことがある。
父親は、ぼくが小さいころには煙管を使っていた。
刻み煙草を詰めて吸うこともあったし、
短くなった煙草を、倹約の意味で煙管で吸うこともあった。
いつのまにか、家のなかから煙管は消えた。
そして、羅宇屋も消えた。

煙管もないのに、その部品で商売をするわけにはいかない。
だから、羅宇屋も自然に消えていった。

羅宇屋のような、いかにも特殊に思われやすい商売だと、
消えていったということを思い出すこともある。
言葉として憶えているのに、
現実の町に見なくなった商売は、けっこうありそうだ。
「麩屋」は、今日の町名として残っているけれど、
近所に麩屋を見かけた覚えがない。
鋸(のこぎり)の「目立て屋」も、
昔はいたのを憶えているけれど、まだあるのだろうか?

この先「帽子屋」はどうなるのだろうか。
写真館をやっていない「写真屋」は、残れるか。
「荒物屋」は、そのままのカタチであるだろうか。
「牛乳屋」は、どうだろう。
「乾物屋」は、生き抜けるだろうか。
「煙草屋」だって、なくなるのは目に見えているなぁ。
いずれは、「ガソリンスタンド」もなくなるんだろうな。
だって、油田が枯渇するんでしょ、いずれ。

こういう昔からある商いって、
消えていく感じが、なんとなく自然なんだよね。
なくなることはさみしいかもしれないけれど、
自然死みたいなもので、それなりに腑に落ちるんだ。

だけど、ぼくがいちおう自分の肩書きにしている
「コピーライター」なんていう職業などは、
登場してから時間の経っていない新参者なのに、
なんだか、もう、ピンとこないものになりつつある。
もともと日本では「広告文案家」というような
言われ方をしていたものが、アメリカの言い方に倣って、
「コピーライター」というようになったらしい。

しかし、事実、「文案を書く」ってことが、
それだけを取りだして独立した仕事になるなんてケースは、
とても珍しいんだと思うんだよなぁ。
「文案」を「書く」ことで報酬を受け取る
ということになってるけれど、
実はそれまでに考えたり取材したり打ちあわせしたり、
そういう時間や、労力のほうが、ずっと多いし、
そっちで方向が見えてなかったら「文案」もできない。
となると、自分の仕事のほとんどの部分が、
「コピーライター」と呼びにくくなるんだよなぁ。

かつて、ぼくは、いろんな仕事をするときに、
「コピーライターの仕事の範囲です」と、言いながら
やってきた。
しかし、そう言い続けることには無理がある。
「イトイの仕事の範囲です」とは言えても、
それはやっぱりコピーライターの仕事じゃないことは多い。
集団での仕事が増えていくにしたがって、
ますます、職分の見えない仕事を
やっていくことになるだろう。
「コピーライター」という、まだ
日本中の人が知っているわけじゃない新参者の仕事が、
もう消えようとしているのかもしれない。

かと言って、いまの自分がやっていることを、
ぴったり表してくれるような肩書きも見つからないし。
まった新しい名前をつけても怪しげなばかりだし、
なかなか難しいなぁと思っている。

だいたい、
「コピーライター」という職業がなくなるからって、
誰がそれを惜しんでくれるのだろうか。
いや、惜しんでもらいたいってわけでもなかったか。
他のコピーライターの皆さんは、
どういうふうに考えているんだろうなぁ。

2002-02-18-MON

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