ITOI
ダーリンコラム

<炬燵とパソコン>

『豆炭とパソコン』という本はありますが、
(よろしければお読みくださいませ)
今回は、「炬燵とパソコン」というタイトルにした。

炬燵(こたつ)というと何を想像しますか?

ほかほか暖かくて、出るに出られなくなるって感じ。
ものぐさな人間がひとたび炬燵に足を入れると、
ちょっとトイレに行くだけでも億劫になる。

これって、パソコンによく似てると思ったのだ。
「パソコンに向かっていると働いているように見える」
だから、パソコンから離れることが難しくなるんだ。

もともとパソコンを仕事に使っていた人は、
あんがい気がつかないかもしれないけれど、
パソコンに向かっている人間の姿って、
いかにも働いているように見えるものなんだよ。
さらに言うと、そう見えるばかりじゃなく、
自分でも、なんか働いてるような気になりやすいわけ。

数年前に、ある出版社で「パソコンを仕舞え」という
上役からのお触れがでたという話を聞いた。
若い社員が、パソコンの前に座って
カタカタやっているのを見て、
よく働いておるなとゴキゲンだった上役が、
自分もパソコンを始めて、
他の社員がこの文明の利器を使って何をやっているのか
わかるようになったら、
ゲームをしたりインターネットでふらふらしたり、
実は遊んでばかりいたということがわかってしまった。
で、こんなものは捨ててしまえと、怒りだしたという話。
ほんとの話かな、とも思うけど、
わかるわ、という人も多いだろう。

自分自身のことを考えても、
キイボードの上になんとなく両手を乗せて、
ディスプレイをながめていると、なんかしらの
仕事をしているような気になる。
そして、そのぼくの様子を傍目から見れば、
何やら真剣に仕事をしている人みたいに見えるはずだ。

いま、この文章を読んでいる「あなた」のことを、
近くにいる人は、仕事していると思っているんだ。
ちょっと不機嫌そうな顔して読んでいたら、
ますます、「なにやら真剣に仕事してる」と思うだろう。
そんなことないのにねぇ。

周囲の「仕事のじゃまをしないでおこう」という心遣いが、
あなたを、ますますいい気にさせる。
「そうよ、わたしはいま大事なことをしている」と、
自分でも思いこんでしまうだろう。
このくりかえしを何度も何度も続けているうちに、
「パソコンの前にいない自分が、どうも馬鹿に見える」
ような気がしてくる。
そりゃそうだ。
もともと、あなたは「たいしたもの」じゃないのだから。
馬鹿に見えて当然、なのだ。
パソコンの前にいるときのあなたが、
過剰評価(っていうのかな)されていただけなのだ。
受験生の母親が「なんですか、机にかじりついてて、
コワイくらいだから近寄れないんですよ」と、
馬鹿息子のことを言っているのと同じだ。

そう。パソコンの前にいてコワイ顔さえしていれば、
あなたは(ぼくは)ずっとサボり続けていられる。
『炬燵とパソコン』というタイトルは、
こういうことを思いながら付けられた。

しかし、炬燵に入っていてもいいことを思いついたり、
本当にいい仕事が進んでいくこともあるので、
炬燵を逆恨みするでないぞ。

2002-03-04-MON

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