ITOI
ダーリンコラム

<野生の情報を採取しよう>

珍しく「しよう」なんてタイトルつけちゃったよ。

今年の夏に間に合わせようと、
「ほぼ日」のTシャツづくりが進行中だ。
今回は、胸にLETTERを入れようと考えて、
いろんな候補を正月くらいから考えていた。
採用が決定したもののなかに、
「THINK WILD」というものがある。
これは、ぼくがぜひ着たいと思っていた候補だし、
読者の同意もたくさんもらったものだ。

「THINK WILD」にどんな訳語がふさわしいのか、
ほんとうはまだよくわかっていない。
だけれど、ぼくはここ数年「WILD」について思っている。
感心させられるもののなかに、ほぼ必ずと言っていいくらい
「WILD」の要素があるように思うのだ。

テレビのなかでよく使われる「天然」という言葉も、
「WILD」という意味を持っている。
人間の力ではつくれないような、いわば神のちから。
それにひれ伏してしまうつもりはないのだけれど、
野生の持つ圧倒的な強さを、
ぼくらはもっと認めたほうがいいのではないかと思う。

若いときに、小学生くらいのよその子供に向かって
こんなことを言ったことがあった。
なぜか、よく憶えている。
「人間はハエをつくれない。
 ハエは、どうやってつくるか知らないけれど、
 ハエをつくれるんだよね。
 いっぱいタマゴを産んで、それがウジになって、
 やがてハエになっていく。
 ハエはハエをつくれる。
 ノミはノミをつくれる。
 すごいよなぁ。
 人間は、ハエもノミもつくれない。
 でも人間は、人間をつくれる」
なんでこんなことを言ったのかは、よく憶えていないけど。
なんか、ハエをなめちゃいかんよ、ってことだったかな?
ま、いいや。
あるがままの野生は、ほんっとにスゴイってことだ。

知性にも、野生の情報を自前で採取してきて、
それを栄養にして血肉化しているものと、
野生を加工して配給されたものを
集めて編集する知性とがあるように思う。
誤解を招くかもしれないけれど、
「町や人から拾ってきた情報」と、
「本やメディアから配られている情報」という
二種類に分けても、そう間違いじゃないかもね。
どっちにも、役に立ち方がある。
ただ、上下はないんだよなぁ。

ぼくは、テレビを点けている時間に
明石家さんまさんの番組があると、
ほとんど必ず観てしまう。
さんまさんの場合は、本やメディアで配給された知識は
ほとんど語られてない。
ほとんどすべてが「人」が思わず語ったことや、
「人」が気づかずにやってしまったことを採取して、
それを誇張したり増幅したりしている。
その野生の情報の圧倒的な分量には、つくづく感心する。
もっとも、さんまさんの番組の多くは、
彼が人を相手に「採取している場面の実況中継」
というものが多いのだけれど。
ちょっと気の利いた老人とかなら、
これを「世間知」とか言ってくれそうな知性だ。
こういう明石家さんまという人が、
いまの日本でいちばんの人気者だということを、
ほんとになめちゃいけないと思うのだ。
やっぱり、野生のものを食って育ったさんまは、強いのだ。

かつて『書を捨てよ街へ出よう』と言った詩人がいた。
この人は、もちろん、書をさんざん読んでいたと思うが、
それよりも、ひょっとしたら街のほうを
たくさん読んでいた人なのかもしれない。
この人が、晩年に「のぞき」の容疑で
警察のお世話になったことなどは、
とても象徴的な彼の知の方法論だったとも言えそうだ。

しかし、さ、考えてもごらんよ。
イエスキリストは、本を読んだかい?

自分の言葉でしゃべる人たちから、
思いや考えは、いくらでも採取できる。
そして、それはノートに書きつけなくたって、
かなりの確率で自然にこころに記されてしまうものだ。
いま持っているせいいっぱいの言葉で
どこまで次の考えを生み出せるか、
挑戦してみてもいいような気がする。

「THINK WILD」そこいらへんにある知を、摂ろう。

2002-04-15-MON

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