ITOI
ダーリンコラム

<肩のちから>


たまには、なんか具体的に役に立つことを書けそうだ。
そういう予感があるのだ。
とにかく、書きだしてみよう。
すっ。
いま、肩のちからを抜いたのね。
すっ。
また、念入りに肩のちからを抜いたのね。

昔から、よく身体に関わる表現というのがあって、
「腰を入れて仕事に取り組まんかい」だとか、
「彼は腹の据わった男です」とか、
「やつは、ケツのあなの小さいやつだから」とかね、
いろいろあるわけなんだけれど、
そういうことって、実感として感じられることがある。
すっ。
で、そういう身体がらみの表現のなかに、
「肩のちからを抜いて」というのがある。
逆に、「肩にちからが入ってるなぁ!」という場合もある。
これ、誰でも言われたり言ったりしたことがあると思う。
大事な場面などで緊張して、身体が固くなっていると、
ほんとうのちからが発揮できないということだ。
そりゃそういうもんだろう、と、みんな思っている。
しかし、もうちょっとだけ余計に考えてみよう。

なぜ、緊張したときに他でもない「肩」のちからについて
注意されるのであろうか?
また、そういうシチュエーションでは、
ほんとうに肩にちからが入っているのであろうか?
このふたつの疑問をワタシは抱いたのであった。

そしたら、
いやいや、びっくりした。

ほんとに肩に、いかにも余計なちからってものが
入っているのだと知ったね。
すっ。

いま、これをお読みの賢明にしてお調子者の皆さん、
いまご自分の肩、どうですか。
抜いてみて!
ほら、抜けたでしょ、ちから。

つまり、抜く前には肩にちからが入っていたということだ。
いやぁ、びっくりです。
しかも、そのちょっと前まで入っていた肩のちから、
まったく使い道のないちからであったというわけで。
じゃまになることはあっても、役に立つもんじゃない。
これを抜くことで、たしかに、
身体全体のちからの配分がとてもスムーズにできる。

肩以外の部位では、こんなふうに意識しにくい。
しかし、肩だともう実にわかりやすい。
ほんとに、実際に、ちからが入っているし、
それがよくわかるのだ。
ひょっとしたら、造物主は、こういう
余計なちからというものについて教えるために、
人間に肩というものをつくったんじゃないか。
そんなことさえ思ってしまうほど、わかりやすい。
すっ。

こうやって、ちょっとしたたいしたことないことを
書いているうちにも、ちょくちょく肩にちからは入る。
そしてそれは意識すれば気付けるから、
すっと抜いてやればいいわけだ。
おもしろいくらい、ぼくらは余分なちからを
肩のあたりにためこもうとしているものらしい。

さ、もう一度。
あなたの肩のちからを抜いて。
すっ。
すっかりわかったでしょう?

これからは、ちょくちょく肩をチェックだ。
ちょっと油断すると、すぐ余計なちからが入って、
キミやボクの実力を出させないような
じゃまな働きをしやがるはずだから、
こまめに抜いてやろう。

ね。
今回は、すっごく役に立ったでしょう?
まったく具体的な生活の知恵ですよ、これは。
肩のちからをこまめに抜いて、
その直後に深呼吸する。
なんか、もう、達人の境地じゃないかというくらい
いい感じですよ。

すっ。


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2003-09-08-MON

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