<インターネット、飽きてる人から初心者まで>
ほぼ日刊イトイ新聞の題字下には、
小さめではあるけれど、こう書いてある。
「インターネット、飽きてる人から初心者まで。」
技術を感じるようなことばではないし、
なんにも言ってないような一行なのだけれど、
けっこう考え抜いて作ったキャッチフレーズだった。
1998年の段階で、
インターネットをやっている人たちの間では、
「もう、ホームページなんてはじめるの、遅いよ」
という声が聞かれていた。
同時に、インターネットをよく知らない人は、
「ホームページって、何?」というくらいのものだった。
そういう時期に、新しくホームページというものを
スタートさせるのだ。
なかなかうれしい気分じゃなかった。
仕方がないので、どちらの人も来てほしいという
呼び込みの声だけを発することになった。
「もう遅いよ」という人が読んでもおもしろいものを、
「よくわからない」人が読んでも楽しめるように。
そういうものをつくればいいじゃないかと考えていた。
どうすれば、そういうものになるのかという方法論は、
持っているわけじゃなかった。
とにかく、自分がおもしろいと思うものをつくっていって、
それに共感してくれる人がいたら、
その波紋が広がっていくだろうということだった。
「インターネット、飽きてる人から初心者まで」に、
どういうふうに、何を差し出せるのかは言っていない。
でも、そういうものをつくっていこうという
意志だけははっきりしていた。
それから、何度か、この一行を変えたいと思った。
しかし、考えても考えても、
これだという答えが見つからなかった。
ここにぴったりはまる一行が見つかるときが、
いつかはくるのだと思っていたし、
そのときがきたら、
ほぼ日刊イトイ新聞は、もっと力を発揮しやすくなる。
それは、予感していた。
「ほぼ日」を取巻く状況も、日ごとにというくらいの勢いで
大きく変化してきた。
変化させてきたという自負もあるし、
変化させられてきたということもある。
筋肉だけはいっちょまえについた中学生が、
何をすればいいのか、何に向かっていいのか、
見つかりそうで見つからなくて、じりじりしているような
くすぐったい時間がずいぶん過ぎてしまった。
「インターネット、飽きてる人から初心者まで。」
という一行の、
かつての「ほぼ日」に似合いすぎるイメージが、
逆に、いまの「ほぼ日」、これからの「ほぼ日」には、
似合わなくなってきているのが気になっていた。
もっと、「ほぼ日」が、どうしたいのか?
「ほぼ日」で、どうなってほしいのか?
「ほぼ日」でなにができるのか?
そんなふうなことが、漠然とでもいいから、
見えるようにならないといかん、と思っていた。
しっかし、わかったような気がしてきたぞ。
『智慧の実を食べよう』というイベントをやったせいか、
それとも、月が満ちるようにそのときがきたのか、
だいたい見えてきた。
近日中に、あの題字の下の一行は、変わっているはず。
その変えたキャッチフレーズについて、
賛成されようが反対されようが、
押し通すことにする。
なんだか、うれしくなっている。
「インターネット、飽きてる人から初心者まで。」
というキャッチフレーズさん、どうも、お疲れさまでした。
長年、ありがとう。
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