ITOI
ダーリンコラム

<買えないものが、買いたい>

●「要するに、これからはさ、
  買えないものを、買えるものに変換したものが
  商品になるってことだと思うんだよ」

○「買えないものっていうのは、具体的には何?」

●「だから、一般的に言われる大事なもののすべてだよ。
  愛だとか、感動だとか、そういうようなもの全部」

○「感動って、売ってるし、買えるんじゃないの?
  本でも映画でも、あれは感動を買ってるわけでしょ」

●「感動そのものは、売り買いできないよ。
  例えば、キミが3000円出したら
  すぐに感動を渡してもらえるってことじゃないでしょう。
  感動は、目に見えないし、かたちもないからね。
  でも、感動を発生させやすい仕組みを、
  物語やら音楽やらというかたちにしたら、
  商品というものになるんだ」

○「でも、そういう映画を観て沸き起こった感動は、
  買ったというよりは、
  自分のなかから出てきた感情だよね」

●「そうだね。感動そのものは買えないんだ。
  でも、感動の仕組みとか、感動に似たものっていうのは、
  売り買いできる商品になるっていうことだ」

○「買えるものより、買えないもののほうが
  価値が高いということなんだろうか」

●「誰もがそう思っているかどうかはわからないけれど、
  大事なものとされているものって、
  だいたい買えないものが多いからねぇ」

○「いい空気なんていうのも、買えないよねぇ。
  いい景色とかも、そうか」

●「そのいい空気や、いい景色を買えるかたちにすると、
  旅という商品ができるってわけだよね。
  別荘地なんかのように、 
  不動産という商品にする場合もあるし」

○「愛も、買えないよねぇ」

●「春というかたちで売り買いもされてきたけれど、
  愛というのは、買えないよね」

○「愛って、仮にかぎりなく近い商品にできたとしても、
  高い商品になるってことだろうねぇ」

●「そういえば、こないだ、
  おもしろい商品を買ったんだ。
  いい感じに履き古したジーンズって、
  自分の経験がそこにこめられてるわけだろ。
  あるいは、ビンテージと呼ばれるジーンズだったら、
  他人の経験が買われているとも言えるよね。
  ところが、こんど知った商品っていうのは、
  まず新しいジーンズを買うわけなんだよ。
  で、その裾の長さだけを決めたら、
  もういちどショップに渡しちゃうわけだ」

○「新品を買って、店に戻しちゃうんだね。
  店の人が履き古してくれるのか?!」

●「それをやったら、一年とかかかっちゃう。
  もっといろんなテクニックで、人間が長いこと
  履き続けたような味をつけるらしいんだけれど、
  それにしても、3カ月くらい預けたままになるんだよ」

○「すごいなぁ。そうやって、古くするのに
  手数料をとるわけでしょ?」

●「そう。新品に、古くする加工賃をのせて
  高い値段をとっているわけさ」

○「そういう商品が登場してもおかしくないと、
  いまだったらみんなが思うだろうけど、
  昔だったら、なんで古くするのに高くなるんだって
  批判されちゃったろうねぇ」

●「ジーンズに、履いていた時間の記録として、
  色落ちや、傷を乗せて商品化したってわけだよね。
  これも、買えないものを買えるかたちにした例だ」

○「これから先、ますます買えないものを商品化していく
  時代になっていくんだろうね」

●「そういえば、ブルセラのパンツ売りなんかも、
  買えないものの商品化だったなぁ」

○「考えはじめるときりがないね」

●「でも、あらゆる人が、それを考えてるわけだよね」

○「おふくろの味、なんていう定食屋も、
  考えてみたら、買えないものを売ってるという仕組みだ」

●「おふくろであるはずないもんねぇ」

 


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2003-10-20-MON

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