ITOI
ダーリンコラム

<ニュートン力学的な社会観>

言い訳ですが、いつも以上に頭がさえないので、
うまく書けそうにありません。
読み手のほうで、うまく救いながら読んでやってください。



会議などで、
満場一致で決まるようなことはうまくいかない。
そういう「言い伝え」のようなものがあるけれど、
だからといって、人は、
満場一致にならないような提案はしたがらない。

もうちょっと別の「言い伝え」では、
意見がまっぷたつに分かれるような決定は、
とても力を持つという。

どちらの「言い伝え」も、
よく語られるのだけれど、
実際にはそういう考えで何かが決定されることは、
非常にまれである。

いまの時代、
さまざまな決定の場面では、
決定を判断するための根拠が必要とされるし、
決定までの手続きにまちがいがないことが求められる。

ややこしい言い方をしてしまったけれど、
世の中では、大事なことを決めるときに、
「わからないこと」のないようにしたがる、ということだ。

あちこちの会議で、みんなが
「わかること」を持ちよっていろんなことを決めるから、
似たようなものばかりが世間に出回ることになる。

「わかること」というのは、
あらゆる結果には原因がある、という考えにつきる。
ヒット商品が生まれたら、その理由を考えて、
同じようなヒットを生み出せないものかと話し合う。
人間は、自分が損をしないように判断するものだ、
という前提で、いろんな消費行動が分析される。

あるタレントがとても人気があって、
彼女がCMにでてすすめた商品がたくさん売れたとする。
そのことで、彼女がCMに出ると売れる、
という判断ができる。
そして、彼女というタレントにCMの依頼が行く。
これはとてもわかりやすい「わかること」だ。
だから、みんなが思いつく。
(でも、同じようにそうしたからといって、
 彼女をCMに起用した商品が売れるとは限らないんだなぁ)。

そして、彼女がなぜ人気があるのかについては、
「わからないこと」が多くなる。
彼女とポジションの近い別のタレントと、
どこがどうちがうのかについても、わかりやすくはない。
そのことをいくら勉強しても、説明することはむつかしい。
でも、案外、勉強なんかしなくても
「見ればわかる」ようなことであったりもする。
でも会議で、「見ればわかるでしょう」などという説明は、
あまり歓迎されない。
わかるけれど、それについて説明してくれ、と言われる。

なんだか、世の中、「機械のしくみを説明する」ように、
なんでも「わかること」として説明できると
思ってるようなのだ。
たいていのビジネスマンの頭のなかでは、
「社会」はとても「機械」に似ているのだろう。
どこが壊れたから部品を交換すればいい、とか、
どこいらへんが詰まっているから掃除をしようとか、
どこかにエネルギーのムダがあるから調べようとか、
社会を機械に喩えて考えようとするから、
「わかること」だらけになるんだと思うのだ。

「ニュートン力学的な社会観」とでも言おうか、
積み木と滑車と梃子とゼンマイと、ベルトと歯車と、
エンジンとパイプと‥‥というような部品どうしが、
たがいに因果関係をもって組み合わさっているという図だ。
あらゆるモノゴトを、この図のなかで説明しないと、
「わからないこと」にされてしまってボツになる。

しかし、「わからないこと」のほうが、
ほんとうは多いんだよなぁ。
わかっているつもりだったけれど、
ほんとはわからないことであるとか、
わからないことさえもわかっていなかった
わからないこと、とか、
そんなことのほうが、「社会の模型機械」なんかより、
ずっと大きいものなのだ。

よく、ヒット商品の売れ行きは
「旋風」に喩えられる。
だが、風が、どこから吹きはじめたのか、
という起点は目に見えないものだ。
機械を分解するようには調べられない。
台風の進路などでも、
おおむねこの方向、とか、
だいたいこのあたりで弱まるとか、
あいまいで謙虚な予報になるものだけれど、
ほんとうはそのほうが、有効なんじゃないかなぁ。

ただ、ねぇ、他の企業を相手にした企画書に、
「だいたいこんな感じです」なんてこと書いてあったら、
仕事の関係は成立しないんだろうなぁ。
「ほぼ日」が自前の方法だとか、
イニシアティブを自分たちで持つことにこだわるのも、
そんな理由があるからなんだよねぇ。

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2003-12-15-MON

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