ダーリンコラム |
<常識とちょっと絶交してみる> 売れない商品があったとする。 ま、仮に「あたたかくて仕立てのいいコート」としよう。 とてもいいもの、なのだ。 品質にまちがいない、デザインだってわるくない、 価格も決して高いとは言えないはずだ。 なのに、売れない。 そういうとき、たいていの企業は、 値段を下げようとする。 「他にやりようがないのだ」と、値下げする。 みんながこういう方法をとるものだから、 まるでこれが「常識」だったり「定石」だったり、 「王道」であると思われている。 だから、これ以外の道はないものかと考える人は、 自分は「王道に逆らっているのではないか?」と、 たえず「疑い」をいだきながら行動することになる。 この「疑い」を吹き飛ばせないかぎりは、 「王道」という「常識」に戻って、 みんなと同じことをしているという安心を受け取る。 そして、おそらく自然に敗れていくことになる。 それまで売れないでいた 「あたたかくて仕立てのいいコート」は、 おそらく値段を下げたからといって、売れないだろう。 少しは動きがでるかもしれないけれど、 値下げしたことを宣伝するためのコストやらなにやらまで 考え合わせたら、ちょっとくらい売れたくらいでは 損失のほうが多くなる可能性だってある。 とにかく「みんなと同じやり方」にしたら、 余計な考えをしないですむから、 「ダメなんじゃないか」という「疑い」に 苦しむ必要が少なくなるから、 結局、売れようが売れまいが、 コートは値下げされる。 そういうときに、「値下げだけはしない」と、 問題を立ててみたら、どうなるだろう。 それ以外のどんなくだらないことでもいい、 とにかく値下げだけはしない、と決めてしまうのだ。 そうしたら、まず「疑い」との闘いからは離れられる。 これで、少なくとも 「常識に合っているが負ける」ということからは、 救われるのではないだろうか。 つまり、常識を敵視する必要はない。 常識という怪物と、ちょっと絶交してみると、 決めちゃったらどう? ということなのだ。 ぼくは素人ぶって、 むちゃくちゃなことを言っているのかもしれない。 いま言っていることは、受験生に置き換えたら、 「勉強だけはしない」と決めて、 大学に入ろうとするようなものだ。 でも、「値下げだけはしない」で何をするか、 「勉強だけはしない」で、どうするか、 考えはじめたら、わくわくしないか? 「プロポーズだけはしない」で結婚するとか、 「食事制限だけはしない」でダイエットをするとか、 とにかく、みんなと同じことをしているという 安心感から、離れる。 試してみる。無理を承知で別の道を探す。 そういうことが、これからの時代に とても求められているような気がする。 2003年が終わりそうなある一日に、 こんなことを思っています、ということでした。 |
2003-12-29-MON
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