ダーリンコラム |
<政治がエライわけじゃない> どうして政治に関わる人たちというのは、 評論家や記者も含め、あんなに威張って見えるんですかね。 候補者だけは、異常なくらいに腰低くしているけど、 わざとらしすぎるでしょう、あのガマンぶりは。 それはいいんだけれど、 政治を大事だ、と考えている人と、 政治のことにほとんど興味を持ってない人と、 いまの日本には、両方が半分半分くらいいるのだと思う。 政治は、大事なことのひとつだ、 とは言えるかも知れないけど、 政治の力を、過剰に強いと思わされることは、 ほんとうは、ぼくらの住んでいる世の中を かえって不自由にすると、ぼくは思う。 政治という方法でどうやるかを、 あれこれ考えているうちに、 政治以外の現実が、何かをがらっと変えてしまうことが、 いっぱいあるはずなのに。 選挙と政治にたくさんのことを委ねすぎることは、 逆に、ふつうの一人ひとりの無力感につながると思うのだ。 政治ということと、直接に関わらなくても、 政治以上の効果をあげることがいくらでもある。 制度やら法律やらをつくったり変えたりするのに、 時間をかけているうちにも、 現実は、じわじわと変わっているものだ。 『冬のソナタ』という連続ドラマひとつで、 日本と韓国の人たちが、あっという間に近づいてしまう。 「おばさんたちが、ヨン様に夢中になって」と、 それは日韓親善とはちがう、みたいな言い方で バカにしている人もいるようだけれど。 いいじゃないですか、 いままで微妙な距離感のあった国のスターを、 日本の女性たちが追っかけるなんて、 いままでなかなか実現しなかった、 なによりの国際親善じゃないですか。 かつてのNHKドラマ『大地の子』なんかでも、 中国で主人公を助けて育ててくれたあの「おとうさん」は、 あれも、政治の外側の親善だった。 国が日本人の孤児を保護するかしないか、 というような問題じゃなかった。 そこに気の毒な子どもがいた、それに手をさしのべた。 それだけのことで、この場合の政治は、 その「おとうさん」の妨害をする役割だけだった。 政治がするいいことなんて、ほとんどない。 と、ぼくは思っている。 「いいことの手伝いをする」程度が、最高の政治で、 あとは、いいことのじゃまばっかりしているものだ。 なんだか、選挙の番組がずっと続いているので、 そんなことを書きたくなった。 キナ臭いことが起こるほど、心配そうな顔をして、 実はイキイキしてくるような 政治好きの人たちに、ぼくは辟易としている。 政治なんて、ほんとうはなければないほどいいものだ。 エライものでもなんでもない。 かつて、吉本隆明さんが、 理想的には「月番」のようなものになることが理想だ、 と言っていたけれど、月番というのは、つまり 宴会の幹事さんみたいなものだ。 人々が、他の人々とうまくいくように、 できるだけ大勢の人に都合よくなるように、 社会のしくみを工夫したり実行したりするのが政治だろ? 他の仕事に比べてエライわけでもなんでもないよ。 政治なんかに関わらなくたって、 世のためにも人のためにもなれるよ。 『解体新書』の翻訳が政治か? ジョン万次郎は政治家か? 黒船が来たときに、物見遊山で集まった人たちは、 無責任な悪ものか? 政治に関わった人たちのなかにも、 立派な人はいただろうけれど、 そういう立派な人たちというのは、 ふつうの政治に関わりのない人々のことを、 バカにしたりはしなかったはずだと、ぼくは思う。 まだ歯痛が治ってないせいか、 どうも、怒りっぽくなってるみたい。 |
2004-07-12-MON
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