ダーリンコラム |
<生まれてはじめてついたウソ> 人は、正直に生きたいとどんなに願っていても、 ウソをついてしまうものだ。 ほんとうのことだけを口にしながら生きていくことは、 ほとんど、というか、絶対に無理だと言える。 生まれてから間もない子どもの時代には、 まず、ウソをつくことができない。 ウソをつかないのではなく、ウソがつけないわけだ。 やがて、子どもも少し成長すると、 ほんとうだけでない表現をおぼえるようになる。 つまり、ウソをつけるようになる。 そういうことは、考えるとわかることなのだけれど、 ふと思ったのだった。 生まれてはじめてのウソって、 どういう理由があって、つくのだろうか? 聞いているおとなをだまして遊びたかったのか、 それとも、ウソをつかないと苦しいような場面があった? おとなになってからでは、もう思い出すこともできない。 自分がうまれてはじめてついたウソを、 ぼく自身が憶えてないということは、 ものごころつく前に、もう、 はじめてのウソをついていたのだろうか? どうやっても、答えの見つからない疑問なのだけれど、 それを知ることができたら、 なんだか、いろんなことの輪郭が、 くっきり見えてくるような気もする。 物語を編んで人を楽しませる力も、 厳しい現実の向う側に夢を見る力も、 人をだまして陥れる力も、 みんなウソをつくことを核にして、 組み立てられるのだと思う。 生まれてはじめてつくウソが、どんなものだったのか、 知りたいものだなぁ。 そう考えていたら、同じように、 生まれてはじめておいしいと感じた食べ物、とか、 生まれてはじめて発したことばだとか、 生まれてはじめて感じた悲しみだとか、 なんでも知りたくなってきた。 そういうそれぞれの答えを、 自分で想像して遊ぶことも、おもしろいなぁ。 あなたは、生まれてはじめてついたウソを、 知っていますか? そして、 いちばん最後についたウソを憶えていますか? |
2004-07-26-MON
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