ITOI
ダーリンコラム

<昔という感覚>

こたつにあたって、ぼんやりと話をしているような、
そんなことを書きたくなりました。


品川駅で新幹線を降り、
ひとりでエスカレーターに乗っているとき、
突然、「エスカレーターって、昔は憧れだった」
と、思い出してしまった。
ぼくが小さい頃には、前橋という街に、
エスカレーターはなかった。
たしか、先にエレベーターのほうができたのだった。
商店街の、大きめの店だったっけなぁ。
エレベーターに無料で乗れるのはうれしかった。
その頃の記憶は、もう曖昧になっているのだけれど、
東京のデパートでは、当り前のようにエレベーターがあり、
さらにエスカレーターもたくさんあった。
前橋に、エスカレーターがやってきたのは、
エレベーターより、ずっと後のことだったと思う。

エレベーターとエスカレーターと、
どっちがいいか、ぼくはよく考えていたものだ。
エレベーターのほうが、
無料で乗ったオトク感はあると思っていた。
ただ、エレベーターは、ちょっと酔うのだ。
動くときに、なんともいえない気持ち悪さがあった。
エスカレータは、それに比べると、
酔うということはないのだけれど、
ただの動く階段のようなので、タダで当り前に思えた。

そのくらい昔に、ぼくはすでに生きていたのだ。
この話をみんなにしたら、
びっくりされるだろうなぁ、と思いついて
品川駅のエスカレーターで、
ちょっとぼくは思い出し笑いをしていた。

たぶん、「イトイさん、そんな昔の人なんですか?」と、
あらためて言われるにちがいない。
そうだよ。テレビもない、電気冷蔵庫もない時代から、
ぼくは生きているのだ。
まいったか。

知りあいの家で電気洗濯機を買ったとき、
そいつがどういうわけか外に置いてあった。
電気で洗濯をする高価な機械を、
ぼくは『鉄腕アトム』のマンガのなかのものを見るように、
じっと見ていたことを思い出す。
たぶん、それを持っていないぼくの家では、
その電気洗濯機について、
「あんなもの、かえって手間がかかるらしいよ」だとか、
「ふつうに洗濯したほうが、ずっと楽」だとか、
「あんなのは忙しいお店の奥さんだとか、
モノグサな人間の買うものだ」とか、
ひとしきり「酸っぱいぶどう話」をしていたにちがいない。

ジーンズを最初にはいたのは、中学2年生のことだ。
つまり1961年ということになる。
あの、独特の青さが、やけに目立つと感じていた。
まだ不良のはくものだと思われていたし、
「ズボン」としては細すぎるということで、
まじめな中学生のはくものではないと言われていた。
どう言いわけしたのだったか、忘れたけれど、
丈夫でいいというようなことを力説したような気がする。
いま思えば、そのジーンズよりもずっと新しいものが、
「コレクター」のアイテムになっている。

お金持ちのうちでコーラという飲み物の空き瓶を見たこと、
共働きの学校の先生の家で、軽自動車を買ったときのこと、
ああ、そういえば、初めて飛行機に乗った父親が、
「あれは世の中がちがって見えるようになる。
おまえにも金を渡すから、とにかく乗ってみろ」と、
さかんに言っていたこともあった。

自分にとっては、そんなふうないろいろが、
ちょっとずつ連なっているので、
わざわざ思い出すこともなかったのだけれど、
まことに、「思えば遠く来たものだ」なのだ。

「ああ、ずいぶん昔のことだなぁ」と感じるのは、
何年くらい前のことなのだろうか。
たとえば、いまのぼくにとって、
1990年というのはちっとも昔のことに思えない。
もう14年もの時間が過ぎているのに、だ。

同じ1990年のことでも、
いま14歳の人には、ずいぶん昔に感じるのだろうか。

ぼく自身の記憶を振り返ってみると、
1970年くらいから後の変化には、
目に見えるようなものが見当たらない。
どうやら、ぼくが昔を感じるのは、
「カラーテレビ」の登場以前のことのようだ。

むろん、1970年といったって、
いまから35年も前なのだから、
とんでもなく「昔」であるということに、
きっとなるのだとは思うけれど、
イメージとしては、「いまに似た過去」でしかない。

それにしても、先日まで年齢をまつがえていたけれど、
ぼくは、もう半世紀以上も生きている。
できることなら、まるまる1世紀くらいは生きて、
いろんなおもしろいことを経験してみたいものだけれど、
思い出の「濃いところ」は、終わっちゃったんでしょうか?
年をとってから、あんまり「濃い」のもしんどそうだし、
たいした劇的な変化もないよ、というのも
つまらないような気もするしねぇ。

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2004-11-01-MON

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