<のほほんとするぞ。>
「男は外に出れば七人の敵がいる」のだという。
たいそうなことだ。
からかい半分に言うならば、
たった七人の敵で間に合っているというのはめでたい。
「生き馬の目を抜く」のが都会だとも言う。
いまだったら、さしづめ、
駐輪している自転車のサドルを盗まれる、ってことかな。
痴漢があんまり多いので、女性専用電車ができるらしい。
たしかに、男はみんな痴漢の心を持っているものなぁ。
女性専用都市とかをつくろう、なんて提案も、
いずれ登場するのかもしれない。
なにか悪いことをされたら、
危機管理が甘いことが責められるべきだと言う。
ほんとうに危機管理を追求していったら、
危険を見張ったり、調査したりする人が
いまの何十倍も必要になって、
たぶん、職にあぶれる人なんかいなくなるだろう。
こうして笑いながら書いているぶんにはいいけれど、
実際に、世の中は「のほほんとしていられない」らしい。
たいへんだ、と思う。
どうやら、ぼくはそういうたいへんさばかりになったら、
この世というところに生きていけそうもない。
外に出れば敵がいる、というけれど、
出世競争やら、受験戦争なんてことを考えたら、
社内や学級内にだって、敵ばかりだということになる。
食うか食われるか、倒すか倒されるか、
そういう言い方は、いかにもドラマチックで、
剣豪小説とかを読んでいるような快感もあるけれど、
ほんとうに、日常を「食うか食われるか」という
リアリティで生きている人なんているのだろうか?
ま、そういう疑問を書くと、
「自分がそうだ」と
名乗り出てくる人もいるのかもしれないが、
ほんとうにそうでしょうか?
こんなことをぶつぶつ言っていると、
いかにもぼくが日々のほほんとしているようだけれど、
ま、のほほんとしているにはちがいないのだけれど、
「オレは食うか食われるかのなかで毎日生きている」
という人に、いまのぼく自身の境遇にいてもらったら、
ひょっとすると、イトイの暮らしのほうがキツイとか、
言うようになるかもしれない。
そんな気がしないこともない。
ポジティブシンキング、みたいな方法論じゃないんだけど、
「肉食動物が獲物を奪い合っている」
という世界認識で生きていくためには、
人間って動物はおめでたくできすぎてると思うのだ。
どんなに頑張って敵を倒しても、
その敵の肉を切り裂くための犬歯は、たった二本しかない。
明日飢えることに備えて食いだめすることもできない。
たった数千カロリーを毎日摂取するだけのことなら、
たいていの人ができてしまうし、
その程度のことを続けていると、肥満してしまう。
眼光鋭く、背後の敵まで意識して、
吠えたり、威嚇したり‥‥そんなことをしなくても、
生きていけてしまう動物が、
ほんとうに「食うか食われるか」なんてことを、
本気で思い続けられるものなのだろうか。
聞けば、あるいは、報道などの情報で見れば、
戦場にだって日常ってものがあるらしい。
そりゃそうだ、と思う。
『ダイハード』みたいな映画だったら、
上映時間分だけ、ずっと危機に見舞われているということも
あってもおかしくはないのだけれど、
それにしたって、せいぜい2時間くらいが限度だ。
ひっきりなしに拳銃を撃ってる主人公だって、
寝たり食ったりもする。
戦場にしたって、攻撃や防御以外の時間のほうが
ずっと多いに決まっている。
そうでなかったら、戦争なんてできないとも言える。
なんかさー、もう、「食うか食われるか」だの、
「死んだ気になって」だの、
「のほほんとしてたら餌食になってしまう」だの、
「敵に包囲されている状態です」だの、
そういう劇画チックで物騒な比喩で、
現代のものごとを語るのはやめにしてくれないかねぇ。
そういう脅かさなくても、
真剣に仕事はできると思うし、
時には自己犠牲も含めた賭けにもでられるよ。
なんだか、新聞読んでいても、テレビ見ていても、
どんどん世知辛く、怖くなってきている。
古くさい受験校の教育みたいな感じだ。
危機感を背景にした怒りや煽りで人を動かすということは、
もう無理な時代だと思うんだけどねぇ。
怒ったり、怖い顔している人が、
治めている世の中ってのは、
人間みたいなのほほんとした生き物には向いてない。
オレは、のほほんとするぞ!
‥‥だって。 |