ITOI
ダーリンコラム

<団塊の世代って?>

自分に「世代」がつきまとっているということを、
ふだんは意識しないでいるつもりなのだけれど、
たまに、「あんたは団塊の世代じゃ!」と
宣告されるようなことがあって、
ちょっとなんだか不本意な気持ちになる。

中島みゆきさんの『地上の星』という曲は、
団塊の世代の支持が高いのだそうだ。
たしかに、ぼくもこの歌、この詩はすごいなぁと思う。

風のなかにすばるという星座を、
砂の中に銀河を、
草原にペガサス座を、
街角にヴィーナスという火星を見る視線。

この詩には、ふたつの逆転がある。
地上を空に見立て、空を地上に見立てて、
空の側から地上を見るという逆転だ。
だから地上に星が見える‥‥というわけにはいかない。
もうひとつ、昼と夜の逆転がなければ星は見えない。
空に見立てた地上を夜の暗さでおおわなければ、
地上に輝く星は輝くことができないのだ。

地上を空に見立てることのできる「つばめ」が、
歌詞のなかに登場するのだけれど、
つばめを夜に飛ばすわけにはいかない。
地上の星を見ているのは、つばめなんかじゃないのだ。
では、この歌を歌っている主体とは誰なのだろうか。
その主体の視線に、ぼくは憧れを感じてしまう。

‥‥なんてことを考えながら、
じわ〜〜っと気持ちよくなってしまうのだけれど、
それが「団塊の世代だから」だと思うと、
なんだか残念な気になってしまうのだ。

『地上の星』という歌は、
NHKの『プロジェクトX』という番組の主題歌だった。
『プロジェクトX』という番組は、
これまた団塊の世代にとても人気があったということで、
その流れで、この主題歌も
団塊の世代に人気があるということになるのだろうか。

『プロジェクトX』という番組は、
たくさんの人の目に見えにくい市井の英雄を探し出す。
それを『地上の星』という歌で表現したのが中島みゆきだ。

定年に近づいた団塊の世代の、
「おれをただのおじさんと思うなよ!」という気持ちが、
自分たちを『地上の星』に見立てて快感を得る、
そういう理由で、
この番組や主題歌が団塊の世代に売れたことが、
語られるのだろう。

でもなぁ、ぼく自身はズバリ団塊の世代なのだけれど、
なんか、そういう説明をされても釈然としないんだよなぁ。

戦争が終わって、その直後にたくさんの子どもが生まれた。
その「たくさん」は、
あまりにも「たくさん」だったために、
歴史に影響をあたえるくらいの存在になってしまった。
「たくさん」の「人口のカタマリ」が動くたびに、
市場が動くというような事態を引き起こしてしまう。
近いうちに、この「たくさん」は、
いっぺんに定年を迎え、いちどに無職になる。

消費市場を支える、とか、大衆文化をリードするとか、
さんざん言われてきた団塊の世代だけれど、
こんどは「やっかいなカタマリ」として、
また世代論の主役になるのかもしれない。

なんだか、世代としてほめられるのも
けなされるのも、ぼくはいやなんだよなぁ。
同級生のなかにもイイやつもイヤナやつもいたんだから、
やっぱりひとまとめで言われたくないよなぁ。

他の世代に属する人たちも、
そんなふうに、世代で語られるいやな気分とか
味わってるのかなぁ。

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2005-04-04-MON

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