<街を歩いて、ぶつぶつつぶやいた>
街をきょろきょろしながら歩いていると、
その街ごとの共通の価値観があることに気づく。
青山から、原宿に行くと、
もうショッピングをしているお客さんもちがうし、
ウインドウから見える服もちがっている。
で、また原宿から渋谷に歩いていくうちに、
知らぬまに別の感じの店が並んでいる。
ある種の価値観を持って、
あるショップをひいきにしている人は、
他の価値観の他のショップに並んでいる商品について、
「なんか、ちがう」とか「これはないよな」と
思っているのかもしれない。
ファッション雑誌などで、
多くのタイプのファッションについて
研究している人だとか、ファッション全般が趣味の人なら、
さまざまな美意識の棲み分けについて、
理解できているのかもしれないけれど、
そこまで熱心に研究していない人だと、
自分の「いい感じ」だと思うファッション以外については、
詳しくなることはちょっと無理なのではないだろうか。
これは、ファッションについてだけではない。
自分の好みのことについては、
かなり知っているし、自由にふるまえるけれど、
そこの場から離れたら、ほとんどなにもわからない。
そんなふうに、人々が棲み分けているように思う。
ある種のアニメについてものすごく詳しい人と、
ヨーロッパのファッションについてすごく知っている人と、
ブラジルのサッカーについての知識を追求してる人と、
それぞれ、みんな仲間がいて、
そこでの詳しい情報の交換なんかしているんだろうけど、
そのそれぞれのすべてを網羅的に知ってる人はいない。
(たまにはいるのかもしれないけれど、
そういう人は、網羅的であることを、
自分の個性だと考えて磨き続けているわけだから、
それはそれで、網羅的というオタクなジャンルでの
活躍をしている人なのだろう)。
このごろって、情報の流れを血液の流れにたとえるならば、
毛細血管的なんだよなぁ。
枝分かれに次ぐ枝分かれで、
目に見えないくらいの細い血管を、
情報が行き交っているという感じ。
しかも、毛細血管だから、行き止まりの数も
ものすごく多かったりもする。
枝葉末節というのは、
かつては否定的なことばだったけれど、
いまは、あちこちでみんなが
枝葉末節を大事に遊んでいるわけだから、
そういうことを否定するわけにはいかないと思うのだ。
否定して、大動脈の大切などについて説教してたら、
末端に血が通わなくなって、死んじゃいそうだ。
どんなにご立派な右心房やら左心室やら大動脈やらを
持っていたとしても、末端の毛細血管にまで
しっかり血が通ってなかったら、意味ないものなぁ。
自分自身のことを考えてみよう。
ぼくはぼくで、あちこちに興味があり、
好奇心の向くままに、どこにでも出かける人、
というイメージで見られているらしいけれど、
それも、たいして広い世界の話じゃないのよ。
なーんにも知らないも同然だっつーの。
ま、たいていのことは知らないね。
で、ほとんどの場合は、あがるね。
どういうルールで成立している社会なのか、
だいたいはわからないから、
ほぼ必ず、過剰にぺこぺこすることで、
相手に余計なことを考えさせないようにしてるね。
傍若無人なまでに「謙虚の王」を装ってるね。
道で誰かにぶつかっても、先に謝っちゃうね。
ラーメンにハエが入っててても、我慢して食べちゃうね。
‥‥あ、そこまではしないね。
自慢じゃないけど、ぼくは
毛細血管も発達してないし、大動脈も丈夫じゃない。
だから、もしかしたら、
いまみたいな毛細血管時代は、生きにくいのではないか。
ついでにいうと、大動脈時代にはもっと生きにくかった。
じゃ、ダメじゃん?
そうなのだ。
ぜんぜん、勝ち目のない特性だと思うのだ。
だから、ひっちゃきになって、
生きにくい弱さの生きものが、生きられるようにと、
あの手この手を考え続けているのだろう。
時代にぴったりの精神や、身体つきをしていると、
かえって肩の荷が重く感じられて、つらいものだ。
「向いてないなぁ」、という不自由さのなかで、
じたばたとあれこれ考えていると、
案外、そのじたばたそのものがおもしろかったりもして、
なんとかなっちゃうものなのかもしれない。
前にもちょっと書いたかもしれないけれど、
人間の体内時計は、
地球の自転に合わせた24時間じゃなく、
25時間のサイクルで動いているのだという。
つまり、毎日、1時間ずつ時差ボケしてるわけだ。
そのせいで、人間は、毎日、
しっかりと整ったリズムで生きることができないのだが、
同時に、そのことが、
アクシデントの連続としての「毎日」を、
なんとか生きられるような仕組みとして
機能しているのだそうだ。
「合ってない」おかげで、事故に強い人間でいられる。
そういえば、欽ちゃんも、
いままですべての仕事は不本意だったと言っていたなぁ。
だからこそ、じたばたあがいておもしろくしてきたんだ。
はじめに書きだした時点では、
こんなことを書くつもりじゃなかった。
毛細血管時代は、疲れるよな、というようなテーマで、
茶飲み話をしようと思っていたんだよなぁ。
それが、「向いてる」だの「合ってる」だのについての
話題になってしまった。
すごいね、頼まれてない原稿ってものは。
乗馬してて、行き先は馬に訊いてくれって感じだものね。
ま、許してくれや。あんたのことも許してやるから。
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